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黒い存在
それから十日が過ぎた。石のハートは残り一つになっていた。これまで叶えた勇渚の願い事はというと、分厚いコンクリートブロックで蓋をしてある側溝の中で、出られなくなった子猫を出してあげたり、自動車の追突事故で炎上している車内に取り残された赤ちゃんを助けてあげたり、テレビのニュースで ── どこの国か分からないが ── 二十年ぶりの豪雨で、氾濫した川の堤防が決壊し、それを元に戻したり。そういうことに石の力を使った。誰かを助けるという正義感が勇渚の中で芽生えていた。
気に入っていたハートの絵が全て消えてしまうと、ただの丸い石になってしまうので、これ以上石の力を使うことをやめていた。
この日は、クックを散歩に連れ、少し幅広の畦道を歩いていた。畦道の両側には、田植え前の水が張られた水田が広がっている。
勇渚が歩く姿を横から見ると、画面を横切る畦道が一本の境界線となる。上半分には、肉厚な入道雲を背景に一匹の柴犬と一人の少女が引き立つ。下半分には、反転したその景色がさざ波に揺れる水面に映り、モザイク画となっていた。まるで写真を切り抜いたような、夏の一枚だった。
その一枚の中に、もう一つの人影が音もなく現れた。背が高く、夏だというのにフードを頭から被り、踝まであるマントのような黒い布を羽織っている。漆黒の影に潜み良く見えない顔。布の隙間から右手の手首までが顔を出している。その手には、巨大な鎌が握られていた。
どう見ても、悪魔か死神といった格好である。突如現れた恐ろしい存在に、勇渚は小さな肩を強張らせた。左脚を一歩後ろ下げる。ところが、クックが果敢にもその黒い存在を威嚇した。クックの力に引っ張られ、勇渚は前のめりになる。その様子を見ていた黒い存在が、声を発した。
「私は、死神だ」
「え! やっぱり」
「やっぱり? き、気付いていたのか……ヤルナ」
「イサナに何かご用?」
「私の石を持っているだろう?」
「石?」
「そうだ。心臓のスタンプが十個印刷されている石だ」
「あ! イサナが拾った石のこと? 心臓じゃなくてハートの絵だったよ」
「それだ! あれは、どんな願いも叶う魔法の石なのだ。しかも十回もお願いできるスーパーお得な石なのだ」
「知ってる」
「じ、自分で使いながら理解したのか……ヤルナ。あの石は願い玉というのだ」
「ふーん。ハートはあと一個しかないよ」
「なんと! 良くやった。じゃあ、最後の一個も願ってしまおう」
「やだ!」
「……はい?」
「やなの!」
「何故だ?」
「ハートが可愛いんだもん。一個は残しておきたい」
「いや、それは困る」
「どうして?」
「どうも、こうも、願い事を全部使いきると、持ち主の生命エネルギーが私の胃袋の中に入ってくるのだ」
「食べられちゃうってこと?」
「いかにも」
何も言わず勇渚は踵を返し、元来た畦道を走り出した。今度はちゃんと、クックも付いてくる。
「あ! ちょ待てよ」
死神は、地面を滑るように移動し勇渚を追いかける。勇渚の前に回り込んだ死神は、マントをバッと広げ、両手を頭上へ掲げた。すると田園風景だった景色が一転し、高層ビルの屋上に変わった。
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