深夜二時、交差点にて

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 それまでの彼女とは異なるトーンの声に、彼は思わず顔を上げた。 「昔々、ある偉い学者さんが、臨終の床にある人の重さを測ってみたんだって。死ぬ前と死んだ後とで、二回ずつね。結果は興味深いものだった。どの遺体も、死ぬ前から体重が二十グラムばかり減っていたんだ」 「……何が言いたいんです?」 「察しが悪いな。魂にも質量があるってことだよ。君だって質量保存の法則は、中学校の理科の授業で教わっただろ? 物質は焼いたり消化したからといって、この地球から分子ごと消滅してしまうわけじゃない。完全無欠の無なんて、錬金術と同じくらいあり得ないおとぎ話さ。だから君は安心して焼き芋を食べていいし、死んだ後のことでくよくよする必要はないわけだ」 「でも、それじゃあ……」疑わしげに、彼は訊く。「あの世の存在は? もしもそんなものが存在しないで、しかも魂がこの地上に留まっているのだとしたら、地球は何十億年分もの生き物たちの魂で、とっくにパンクしてるんじゃないのか? そのわりには君、あんまり息苦しくなさそうだけど」 「さてね、なんでだろうね……ただ、仮説は一つあるよ。魂にも肉体同様、耐用時間があるのさ」 「耐用時間、だって?」 「死んだ肉体が微生物に分解されて新しい命を育むように、耐用時間を過ぎた魂はこの星の大気と溶け合って、新しい生命へと生まれ変わるのさ。いわゆる輪廻とか転生とかいうやつだね」  それから、補足するように──というよりは、むしろ自分自身に言い聞かせるように、彼女は続けた。 「だいたい、現世に生きている限り誰も見たことも聞いたこともないはずなのに、どうして生まれ変わりなんて概念が発生したんだろう? 存在し得ない概念が存在するのは、実際にそれを体験したことのある者がこの地上にいて、しかもその記憶を継承しているからじゃないのか?」 「わからないよ……でも、そっか、生まれ変わりか」その考えを、彼は気に入ったようだった。「魂の質量、か」  ふと、大好きな祖父が亡くなった時のことが、彼の脳裏をよぎった。  その葬儀は、いわば彼の恐怖の原風景だった。狭い棺に押し込められ、事務的に火の中へ追いやられた祖父。お骨拾いの際には、これがあの知性とユーモアに富んだ男の成れの果てだなんて到底信じることができず、なんだか騙されたような心地さえしたものだった。大人たちが寄ってたかって、祖父を矮小化している──そんなことさえ、彼は思った。  が、彼女の話は、彼に思いがけない赦しをもたらした。あの日憎んだ親族や火葬場の職員は、単に耐用年数の過ぎた肉体を適切に処理したにすぎず、祖父の本体とも言える魂は、今もこの世界のどこかで達者に暮らしているのだ。 「やっと笑ってくれたね」  女の声に、彼はハッと我に返った。  急に照れ臭くなって横を向くと、「隠すことないじゃないか」と彼女も微笑した。
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