中野の悩み

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中野の悩み

 始まりはケアマネジャーの中野だった。 「なんか放っとけないのよねぇ。でも私はあの子の父親のケアマネだし」  中野の担当する利用者が亡くなった。父子二人暮らしで二十代の息子が取り残された。その息子が気になるという。 「優しすぎますよね、彼」  市役所の窓口で島田拓海は相槌を打ちつつこれまでの経過を思い出す。頭の中ではケースファイルがパタパタと開かれる。  彼、南大樹(ひろき)の母親と妹は病弱だった。そのため、認知症を患う祖母の介護は小学生だった大樹も担うことになった。  祖母が大樹の言うことは聞き入れたためでもある。グループホームに入所した後も面会や衣類の入れ替えのような雑用は大樹の仕事だった。  大樹の妹の杏梨は一年の殆どを病院で過ごしていた。病弱な母親が杏梨に付き添い、家に戻らない日も多かった。  父親は入院費などの工面もあり、仕事に励んだ。結果として栄転で転勤となり、単身赴任することになった。  家に残されたのは大樹とグループホームに入所する前の祖母。母親は相変わらず杏梨の病院通いが続き、学校で身なりが整わず、覇気のない大樹が問題視された。 『ヤングケアラー』。  その言葉に追い詰められたのは母親だった。中野はこの頃、祖母のケアマネジャーを担当していた。  祖母は時間が混乱して自分の家を探し徘徊した。中野は幼い孫と二人きりで、孫のためにも安心できる場所を探しているのではないかと考えた。徘徊の目的の場所、それは祖母自身が幼い時代を過ごした家なのではないかと。  祖母の母親に頼ろうとしているのではないか。生まれた家や両親がいるところは安心できる場所であり、その家に大樹と二人で帰ろうとしているのではなかろうか。 「昔ね、お祖母ちゃんも担当してたのよ。お母さんは杏梨ちゃんにつきっきりで、お祖母ちゃんと彼が残されて、お祖母ちゃんは毎日徘徊して。お祖母ちゃんをどうにかしなくちゃと思って近所のグループホームに入ってもらって、ついでに彼の居場所にもなってもらっていたのよね」  島田拓海は中野の熱心さに舌を巻く。祖母だけではなく大樹の居場所まで確保してしまうとは。  確かにグループホームに小学生が来てくれれば他の高齢者も喜んでくれただろう。きっと子どもの頃の南大樹も優しい少年だったはずだ。 「それでケアマネとしては切れてしまって。まさかお母さんと杏梨ちゃんが亡くなるなんて思わなかったのよ…」  感染症が流行し、病院には感染症による重篤な肺炎患者で溢れた。  長期入院していた杏梨も自宅退院することになった。ベッドの確保のためだ。  自宅に戻った杏梨の世話を手伝うために大樹も休みがちになり、そのことを大樹の担任から指摘された母親は頭を下げるしかなかった。  母親は治る見込みのない娘の病気の責任を感じ、思うように世話ができない自身の体の弱さに悲観し、退院を迫られたことで病院に対して不信の念が拭えず、誰の支援もないことに絶望した。  幸いなのは帰宅した大樹の目に触れなかったこと。母親と妹の姿が見えず、妹の外出用の機材もなかったので、大樹は杏梨が急に容態が悪くなって入院したのだと思った。  父親に電話したがつながらず、病院に電話した。病棟の看護師長が機転を利かせ、病院にいるか調べると答え、グループホームに連絡するからそちらに行くよう諭した。  師長から相談員、相談員から父親、グループホーム、そして警察へ。大樹の知らないところで大人たちが動き、海の見える公園の駐車場で変わり果てた姿の二人を見つけた。  大樹はこの土地を離れ、父親の赴任地で暮らすことになった。  そして、高校生になった頃、この街に戻ってきた。父親が若年性認知症を患い、早期退職することになったのだ。  それから5年間、中野がケアマネジャーを担当した。父親と大樹の望みもあり、自宅で介護を行った。大樹は高校を中退、中野の勧めで『高等学校卒業程度認定試験』を受け合格した。介護に明け暮れる大樹の今後を案じての進言だった。 「一人になったら、ひろくん自分のご飯を作らないと思うのよね」  南大樹は確かに自分には無頓着な青年だ。少し童顔で親しみやすい雰囲気を持っているのだが、そんなことにも気がついていない。 『僕は…いてもいなくても同じ、世間から取り残された存在だから』  島田拓海もそんな言葉を聞いている。 「あの人みたいな人はシェアハウスには入れないのかな」  きたっ。島田拓海は身構える。島田拓海の幼馴染が訳あり住人だらけのシェアハウスを運営している。そこへの口利きを期待されているのだ。 「シェアハウスは三角不動産が管理運営しているから、三角不動産に相談するといいんじゃないですか?」 「そうだけど、審査通ると思う?」  そう、あのシェアハウスには条件がある。 ・きちんと家賃を納められること ・他の入居者と仲良くできること ・依存症ではないこと ・一般の住宅での生活に困難があること 「南さんが希望するのかが問題だと思いますけどね」  中野が腕を組んで唸り始める。島田拓海も南大樹の一人暮らしについて考えてみた。 「…でも、心配ですね」 「そうでしょー」  二人で同時にため息をついた。
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