島田拓海の戸惑い

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島田拓海の戸惑い

 島田拓海はとりあえず係長と相談し、一度チャイムを鳴らす。昨日訪問予約を取り付けていた。律儀な南大樹のことだから不在ということはないだろう。 「…」  反応がない。もう一度、チャイムを押す。中からチャイムの音がするから聞こえているはずだ。 「…」  安否確認の訪問で、訪問予約がありつつ不在の場合、いくつか取り決めがある。  道沿いに家の中を確認することにした。庭からリビングが見える。 「!」  室内で倒れている若い男の姿が見えた。  警察官と共に救急車に同乗して大学病院にきた島田は医師から簡単に病状を説明された。 「血液検査結果からは栄養失調、今回は熱中症ですね。ちゃんと食べて、適切に冷房を使用すれば全く問題ないです」  確かに警察官と共に入った室内は異様に暑かった。この急な暑さの中、エアコンは使用せず、窓もしまっていた。  カーテンが開いていたので、倒れている大樹を発見できたが、カーテンによる遮熱もなかったので、余計に室温は上がってしまっていた。  エアコンさえ使っていたら。 『それが難しいんだわー』  中野の声が聞こえた気がした。  病室で横たわる南大樹は申し訳なさそうに体を丸めていた。 「なんか勿体ない気がして、5月だしエアコンを使わないでいたんです。カラっとしているから大丈夫だと思って」 「食事はどうしていますか?」 「お腹が空かなくて。さっき、看護師さんにこってり絞られました」  病室の入り口には救急病棟の看護師長、三角晴海が腕を組んで仁王立ちしている。40代だと思うが、とても迫力のある美人だ。  新人だったらこの不機嫌モードの三角に震えあがるに違いない。 「中野さんが心配していますよ」  大樹ははっと顔を上げて、そして目を伏せた。 「中野さんは僕には家族同様なので…。中野さんには心配かけたくないし、安心してもらいたいです」 「じゃあ、ネット中心の生活から卒業しましょうか」  棘のある三角主任の声に大樹が震えあがる。島田拓海はこれから三角からこんこんと聞かされる内容に察しがついてしまい、内心ため息をついた。  改めて、島田は南大樹と話す。これからの生活設計についてだ。 「財産は家くらいです。相続税のため売却するしかないと思っています。仕事は…僕は介護で引きこもり生活だったので、何ができるかわからなくて」 「職業の適性診断や就労支援プログラムなど利用していただけると思います。ただ、住まいと基本的な生活習慣がなければ就労は大変かもしれないですね」  少し、南大樹が遠い目をした。 「父も最後は吸引が必要で。夜、目が覚めちゃうんですよ。父とか、妹とかが痰で窒息してしまうんじゃないかと不安になって」 「…眠れない?」 「昼間にうとうと。母がよくうとうとしていて、そんなだったらちゃんと寝るか動けばいいのにと思っていたのがいかに鬼だったか…。今更ながら自分が嫌になってしまって。母はどんなに辛かったろう、妹も本当は走り回って、笑って、楽しんで生きていたかったろうにかわいそうだなって…。そうしたら自分一人がご飯を食べたり、ゆっくり寝たり、仕事をしたりするのが申し訳なくて。なんで、僕は生き残っちゃったんだろう…」  まるで透明な空気のように穏やかに話す大樹に、島田にはかける言葉が見つからない。  だから気になって翌日も病院に面会に来てしまう。そこで目にしたのは生き生きとして隣のベッドの患者の話を聞く大樹の姿だった。 「体力の限界を超えて他の患者さんのことを手伝ってくれるの。ここにいたら消耗しそうだから早く退院してほしいんだけど」  いつの間にか島田の隣にいた三角が呆れたようにそう言い残して立ち去った。  島田拓海は病院の相談員、塩澤を訪ねた。大樹の退院後の生活について調整の依頼だ。  調整し終わるまではいられないだろう。地域の支援について大樹の同意を得なければ。 「正直、こういう患者さんは多いし、この人にだけ役所が動くのは特別扱いに見えるんですけど」  塩澤に嫌味を言われる。 「まぁ、相談があったので動いているだけなんですけど…。個人的な感情はいけないと思う んですけれど、でも何だか気になるんです」  塩澤さんも会ってみてくださいよ、島田はその言葉をひとまず飲み込んだ。
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