涼真の焦り

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涼真の焦り

 スタジアムのバイトから帰ったら、シェアハウスが沸き立っていた。今日、見学に来た人の話だった。 「すっごく可愛いの〜」  松倉深耶。3年生になって同じクラスになった光の姉だ。とてもきれいな女性で俺は密かに憧れている。  ただ、どうこうなりたいわけではない。松倉姉弟は底抜けに明るく振る舞うけれど、その合間に底なしの闇が見えるときがある。  深耶に対する涼真の戸惑いに、やっぱり超絶美人のオーナー、大熊葵が答えてくれた。 『人に見せたくないことって誰でもあるでしょう?』  それで悟ったのは生半端ではない覚悟が持てなければ深耶に触れてはならないということ。天使のように美しい人だから、人の手で触れてはならないんだと、最近読んだ漫画のセリフを重ねてみた。  それでも、深耶はかわいい。見惚れてしまうことだけは許してほしいと思う。  そのかわいい深耶が見学者がかわいいとはしゃいでいる。見学者って何者だ? 「どんな人でした?」  原島彩弓の夫の反対側に座って聞いてみる。彩弓はノートを開いて何かを追う。  彩弓は若い頃に事故にあってから記憶障害になったらしい。事故にあう何年か前からの記憶が乏しい。だから、何かあるとノートを取る。  彩弓のノートはシェアハウスの記録だと涼真は感じている。 「ぱっとしない人だったわ。よくわからないわね」  彩弓の夫である孝之がノートを覗き込む。 「のっぺらぼうの天使? 何、書いてるの?」 「…さぁ…」 「彩弓ちゃんには困る人だったんだ。とにかくスローで、はっきり言わないから、彩弓ちゃんの記憶からすり抜けちゃうし、ニコニコしているだけで何考えてるかわからないし、葵ちゃんみたいな美人でもないし」  光が解説する。 「美人ってなんだ?」  低い声で葵が威嚇するが、光はうすら笑って流してしまった。  葵は『美人、きれい、女神』みたいな言葉を全力で拒絶する。涼真から見ても本当に美人なのに…謎だと思う。 「…困りもしないし、嫌でもないわ。でも、今の私には手に負えない、何も残らないから」  パタンと彩弓がノートを閉じた。  涼真は感じる。皆が何かしら影響を受けている。あの光すら、だ。 「その人、入居するんですか?」  葵を見ると意味ありげに微笑む。 「どうだろうな」 「でも、あの子はあれじゃまた倒れるよ」  最高齢の幸子が顔をしかめる。 「それを選択するならば、それがあの人の人生ってこと?」  深耶が小首を傾げる。 「倒れるのは既定路線ではないよ。彼にはファンが多いからね。どうなるだろうね」  そう言って葵は立ち上がる。 「南さんのことはわかったらお知らせします。じゃあ、お休みなさい」 「お休みなさい。私も失礼するよ」 「片付けはしておきます。お休みなさい、幸子さん」 「お休みなさい」  皆が段々引き上げていく。リビングでガヤガヤしているときは楽しいけれど、部屋に戻ると孤独だ。涼真の母親は抗がん剤治療で今、入院している。 「涼真ん家に泊まっていい?」  涼真の気持ちを汲んだように光が強請る。 「いいよ」 「えー、じゃあ私は幸子さんとこに行こうかなぁ。湿布も見てあげなくちゃだし〜」  そうは言っても深耶は泊まらない。幸子が気疲れしないように騒ぐだけ騒いで撤収する。そのバランスは常に絶妙だ。 「二人とも、ゲームは禁止。23時消灯だぞ」  彩弓の夫である原島孝之に釘を差され、涼真と光は肩を落とした。  1週間後、南大樹という人が入居することが決まった。皆が嬉しそうだった。  そして、あろうことか入院中の涼真の母までが喜んでいた。 「塩澤さんが絶讃していたのよー。やった、その人を見ると寿命が伸びるそうよ」  涼真が憮然としていると『嫉妬しているの?』とコロコロ笑う。息子の気持ちも知らないで。でも…。母が笑うならば、まぁいいか。  なんだかんだ言って、光も嬉しそうだし、皆、浮足立っているみたいな気がする。  南大樹の入居の日。皆のテンションについていけずにいた涼真だが、その人を見た時、心臓が跳ねた。 「南です。よろしくお願いします」  涼真よりもはるかに年上のはずなのに何だか守ってあげたいような気になる。 「涼真、何、見惚れてんだよ」  低い光の声。い、いや俺たちはそっちじゃないし、光ともそんなじゃないし! 何故か、涼真は一人焦る。  そんな涼真を見て葵が笑った。 「青春だな」  えーっ、何が! どこが!! 涼真は心の中で叫ぶ。
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