最期はあなたと眠りたい

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頭の中が沸騰しているような、嫌な感じ。何もかもが痛くて泣きたくなる。 目が覚めて驚いた。私、どうして病院にいるの? 動かない体を見ると包帯だらけ。やだ、学校に行かなくちゃいけないのに。 病室に良く知っている人が現れて、私はひどく安心した。自分の情けない声に驚きながら不安を吐露する。 「孝之(こうし)さん、体中痛くて動けないの。これじゃ学校に行かれない。どうしよう」 やつれた様子の孝之が驚いたような顔で私を見る。 「…彩弓は一人で山に行って、帰り道で事故に遭ったんだよ。暴走した大型車が歩行者を次々にはねて…大事故だった」 一人で山に? 私、一人で山に行ったことなんてない。 「…一緒に行ってくれなかったの?」 いつも二人で出かけるのに? 私の疑問に孝之の顔が歪む。 「…離婚したいって」 思いがけない言葉に涙が溢れた。 「孝之さん、私のこと嫌いになったの…?」 孝之の目が大きく見開かれる。 検査を繰り返し、そして私は孝之と実父と共に診断名を聞いた。脳挫傷とそれに伴う後遺症、頭痛、めまい、高次脳機能障害、具体的には記憶障害。左肩の脱臼骨折に全身打撲。 私の記憶は数分しか持たない。事故の前、3年ほどの記憶が無くなっているのも後遺症によるものらしい。 このこともノートに一生懸命書き移し、繰り返し繰り返し読んで今はわかっている。15分後の私は覚えていないかもしれない。だって15分前に何をしていたかわからないのだから。 同僚の小原先生がお見舞いに来てくれた。そんなに親しかったっけ? 小原先生の熱量に何だか怖くなってしまう。 事故当時、私は離婚届を持っていたらしい。何故だか全然わからず、とても不安だ。私は孝之と離婚しようとしていたのか? まったく意味が分からない。 実父は離婚を勧める。介護が必要な私を多忙な孝之が面倒みられないだろうというのだ。そして、そのことは何となく理解できた。 「彩弓は俺が側にいなくても大丈夫?」 孝之の言葉に泣けてしまう。孝之は黙って私の頭を撫でてくれる。それだけで私はとても安心する。 「彩弓が叫んで危険を知らせたから、周りの人は怪我が軽かったって感謝されているよ。彩弓は昔から変わらないな…。時々、すごく泣き虫になる…」 「変わったよ。こんなに忘れっぽくなっちゃった。でも私、誰かを助けられたの? それだけは嬉しい」 素直に嬉しい。孝之が頭を撫でてくれることも。 「彩弓が思い出すまでは離婚とか…一時、保留だな」 「孝之さん、一緒にいてくれるの?  とても嬉しい」 そして悲しくなる。ぽろぽろと涙が溢れる。 「このまま死にたい。そうしたら孝之さんが最期まで近くにいてくれる…」 「…簡単に死ぬなんて言うなよ」 「…うん…」 優しい雨音が開いた窓から忍び寄る。こうして頭を撫でてもらえれば心が落ち着いて、穏やかに眠れそうだ。 今日の最後に見るのはあなたの笑顔。これが最期でも構わない。 孝之の手と雨音を感じながら、私は眠りについた。 私、あなたを愛している。
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