土曜の夜

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土曜の夜

原島孝之(こうし)の日常は常に子どもたちの危機と共にある。 その頃の孝之のチームにはいつも通り複数の案件があった。これはその一つ。不登校の小学生の相談で、よく調べるとその子どもには妹がいるはずなのだが、健診の記録がない。保育所も幼稚園も登園していない。チームに緊張が走る。 家庭訪問した担任教師は本人の顔に痣があることを確認したが、母親に拒否され、その後は訪ねても子どもにも親にも会えなかった。 警察、教育委員会、児童相談所で協議し、家庭訪問をすることになった。土曜日であれば父親もいるかもしれない。 父親は不在でどうにか入った室内で、倒れている子どもと衣装ケースに詰め込まれた小さな子どもを見つけた。妹は既に亡くなって久しかった。 どうしたら救えたのだろう。重苦しい空気の中、自宅に戻る。明日は彩弓の誕生日。お祝いをしようと思っていた。 なのに、幼い命が残酷に断たれて、それを知ることもできず、救えもしなかった。こんな不甲斐ない自分に嫌気がさす。 重い心と体を引きずり、雨に打たれながら帰宅した家は灯りもなく、うすら寒くてがらんとしていた。 「彩弓?」 こんな夜遅くにどこに行ったのだろう? 学校行事とか、打ち上げとか何かあったかな? そこで孝之は愕然とする。彩弓の予定を何も把握していない。帰宅して妻がいなかったことなどかつてない。 妻がいない家がこんなによそよそしいとは知らなかった。この1年、妻は素っ気なかったが、用意してくれる食事には常と変わらず、その時々の孝之の体調が考慮されていた。 何も言わないのに食事が喉を通らない時、ゼリー飲料やフルーツの盛り合わせがあったり、疲れたときには南蛮漬けなど酸味のあるものが並んでいたり、少し落ち着いている時には肉料理だったり。 何も言わずとも察して、気遣いしてくれる彩弓に甘えていた。 いつだったか、『教師の観察眼、甘く見ないで』と言われたことがあった。確かにそうだ。それに比べて自分は…。自分に彩弓ばりの観察眼や推察力があれば、子どもを救えただろうか? 冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し飲んでみたが、すぐに胃が暴れだし、吐き出してしまった。 「…情けない…」 俺はこんなに情けない奴だったのか…。孝之は落ち込む。 孝之には彩弓に言えない秘密がある。 彩弓がソファでうたた寝していた時のことだ。ぐっすりと寝込む彩弓に声をかけたが起きなくて、無理に起こすのもかわいそうになって、抱き上げてベッドに運んだ。 寝ぼけた彩弓が孝之の首に腕を絡め、孝之自身、欲望を感じる。感じるのに、肝心なところは孝之の意思とは裏腹に何も反応しない。ためらいながら、彩弓をベッドに運び、穏やかで美しい寝顔を見ながら触れてみる。二人だけの夜の時だけに見せる妖艶な彼女を思い出す。手に力が入り、孝之の眉間の皺は深くなる。 反応しなかった。ぐったりした自分に焦る。前は一晩に3回だって、4回だって余裕だったじゃないか。彩弓に触れれば欲望を断ち難く寝不足に苦笑する昼を何度過ごしたことか。 その時に彩弓が寝返りを打ち、孝之に背を向けた。いたたまれなくなり、妻に布団をかけて、部屋を出た。 本当に甘えてばかり、情けない。 仕事だってそうだ。子どものための仕事をしたいという気持ちで繋がっている彩弓は結果を出している。俺は今日も子どもを救えなかった。 ソファに座り、目を瞑る。 とても疲れた。何もなしてもいないのに…。
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