最期はあなたと眠りたい

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最期はあなたと眠りたい

仕事帰り、駅からマンションまでは約10分。梅雨の空は重いけれど、雨はまだ降っていない。 途中のスーパーは閉店間際で、ろくに品物がない。それでも半額になったお刺身と豆腐と牛乳を買って家に急ぐ。 新玉ねぎをスライスして、お皿に広げる。作り置きの袋煮を耐熱容器に移して、お風呂のスイッチを入れた時にメッセージが来ていることに気がついた。 『遅くなるから食べて帰る。先に寝ていて』 「…なんだ…」 急いで損した気分。 お刺身は漬けに、新玉ねぎはマリネにして保存容器へ。タイマーで炊飯しておいたご飯に残りの新玉スライスとお豆腐、消費期限ギリギリアウトの温泉卵をのせた簡単丼で一人夕ご飯を食べる。 ふと目についた写真。ガーデンウェディングで青空と笑顔の新郎新婦が眩しい。あの頃は幸せで、無敵だった。 夫の原島孝之(こうし)は去年、児童相談所に異動した。それからは残業、休日出勤と生活がメチャクチャだ。理由はわかる。虐待通報があったら48時間以内にその子どもの無事を確認しなければならない。 一昨年、不幸な事件があった。それも影響して無事を確認した後は保護が必要かどうか早急に判断し対応せねばならない。その後に正式に検討するため、子どもや親、教師や医師などの関係者に事情を聞き、意向を確認し、関係機関と協議する。記録を書く。とにかくやることが多いのだ。 でも、孝之は生き生きしている。子どもが好きなのだ。一人ひとりの子どもたちのことを真剣に考えている。 なのに、自分の子どもを持つことは考えないのか。 妻の私は昨年から放ったらかしだ。夕ご飯を一緒に食べることは珍しく、同じタイミングでベッドに入ることなんて殆どない。子どもを作る行為は…。 今は仕事が一番なのだ。身を削りながら仕事に没頭し、うまくいかない子どもに思いを馳せ、全身全霊をかけて働いている。 そして、妻の私は置いてけぼりだ。 「仕事に没頭する男にとっての妻はただの家政婦か」 言葉にすると虚しい。家政婦ですらなく、空気かもしれない。いてもいなくても気がつかないほどのありふれた、気にもならない存在。 私にも仕事はある。中学校で社会科の教員をしているのだ。教師も忙しいのだけれど、ここ数年、感染症の流行の影響で部活動の指導が少なくなり、また課外授業も減り、以前よりは時間が取れるようになった。 夫婦の時間も取れると思っていたのに。 孝之の異動は恐らく3年後以降。この生活をまだ4年近くも続けられるだろうか。
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