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かけがえのないひと
『トランスジェンダー』――性自認と身体性が一致しておらず、強い違和感がある者。
「俺ってこれじゃん!?」
奥宮巴が、最初にそれを自覚したのは小学生四年生を迎えた頃だった。
そうというのも、彼女、否、彼が恋を覚えたことによりそれは発覚する。
身体性女性、性自認男性の彼が恋をしたのは歴とした女の子だったからだ。
――否、これまでも似たような感情はあったよ?
あの子可愛いとか、ごく普通にね。
けどさぁ、そんなのは恋っていうにはお粗末じゃん?
女の子見て、可愛いなんて思うのは普通のことだよ。
男を見て可愛いなんて思うか?
「きしょっ!!!」
思わねぇよ。
「巴、朝っぱらから何、騒いでるのっ!!!ご飯よっ」
台所にいる母親から檄が飛んだ。
明らかに俺よりぜってぇにでかい声だと思う。
「やっべ、もうこんな時間じゃん」
俺は学校から支給されたばかりのパッドの電源を落としてランドセルに仕舞い込むや、階段を駆け下りた。
「あんた、いい加減その男口調、何とかしなさいよね」
地獄耳の母に、『俺』と言ってしまったことがばっちり聞こえていたようだ。
「だよなぁ」
「巴はさぁ、黙ってれば結構いい線いくレベルになれると思うのにさ」
「そうそう、俺たちに似るのは顔だけで良かったよな」
上の三人の兄たち(イケメン‘Sと、この界隈では名高い)が顔を見合わせ、苦笑いする。
「巴はいつもお兄ちゃんたちに仲間入りしたくて、ついて回っていたからねぇ」
我が家で一番気質が穏やかな仏の父が、目を細めてとんちんかんなことを朝っぱらから言っている。
意地悪兄貴たちにやり込められ続けるなんざまっぴらだと、俺は物心つく前から必死に喰って掛かって来ただけだ。
「煩いなぁ。そんなことより、俺のにウインナーが入ってないっ!」
キャベツとウインナーの卵とじには野菜しか見当たらない。
俺は兄貴たちを睨み付けた。
「巴ちゃんは女の子だろう?」
「そんな朝から野獣みたいにがっつくなよな」
「そうそう、ダイエット、ダイエット言うのが女子じゃん」
――こいつら、ぜってぇに喰いやがった。
「母さんっ!」
「煩いわねぇ、早く来ないあんたがいけないの」
「理不尽っ!!!」
「「「いや、真っ当」」」
三対一、否、四対一では絶対に勝てない。
俺が同じことをしたら、母さんは俺を叱りつけるくせに、こういう時は兄貴らの肩を持つ。
「くっそぅ、なんもかも理不尽だっ!!!」
俺はむかっ腹を立てながら、それでも腹を満たして家を出た。
そもそも、俺って中身がこんなだし?
横暴兄貴らの中に揉まれていれば、たとえ構造が女であっても中身は男になっていくもんだろうと思っていた。
それに、このちんけな身体に違和感、否、反感を覚えるのは、兄貴らに勝てないからだと思っていた。
考え込むあまり、俺は知らず足を止めていた。
「俺のじゃなかったからか……。転生したらなんちゃら――ってやつみたいだ」
シャツを引っ張り、衿首から中を覗き込んだ。
鍛えようとも逞しい胸板にはならず、僅かに違和感を覚え始めていた胸を覗いて、軽く絶望する。
「マジか……」
学校で習ったことが事実ならば、そのうち女特有の月のものも来るという。
「マジかよぉ……」
絶望感に打ちひしがれる。
そうとはいえ――。
母親が必死こいて産んでくれた我が身だ。
父親が必死こいて育んでくれた血と肉だ。
しかも五体満足、無遅刻無欠席を更新中のすこぶる健康体の身体だ。
いくらちんけだろうと文句は言うまい。
今日までそう心するべく育てられてきた俺だったが、芽生えたばかりの初恋が絶望的だと認識して、涙を零してしまう。
ぐすっ……。
――付け間違えたなんてあんまりだ、神様。
「俺、一生好きになった女の子に振り向いてもらえることはないのかもな……」
親からもらった身体と天秤に掛け、俺の人生は『恋』とは無縁になることを覚悟した。
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