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奇しくもその日、俺は更に絶望感を味わうことになる。
「トモちゃん、私、転校することになったの。先生が皆に言う前にトモちゃんには先に言っておくね」
俺の初恋の女の子――秋津寧音は突然にそう告げて来たのだ。
巴に寧音、時代こそ違えども、どちらも戦国の世を駆け抜けた女性だと、担任の先生に教わったことで互いを意識した。
それが寧音と俺の始まりだった。
「えっ!?な、何で!?」
「私……おばあちゃんちに行くことになって……。トモちゃん、これまで仲良くしてくれてありがとうね」
寧音は瞳を揺るがせながら、儚く笑った。
寧音とはそれっきりだった。
普通に先生が皆の前に立たせてお別れの挨拶をさせ、ありきたりな言葉を告げていた。
信じられない想いで俺は呆然としていたけれど、寧音は次の日から本当に学校へは来なかった。
「ま、マジかよ……」
さよなら、俺の初恋――そんな感慨も残さずに、急に寧音はいなくなった。
けれどそれで音沙汰なく、寧音の存在が俺の中で風化していくというものではなかった。
寧音はそう目立つ女の子では無かったと言うのに、クラスの皆は、寧音の噂話で持ちきりだったからだ。
「寧音ちゃんの親、離婚したんでしょう?」
「そう。で、親が親権問題で揉めてるとか、どうとかママが言ってたもん」
「何それ?どっちが引き取るかって話?」
「それならまだいいんだけどさぁ。ね?」
「うん、それがどっちも引き取りたがらないって話」
「ええぇ、最悪じゃん!それ」
「寧音ちゃん、可哀想だよねぇ」
当人がいないことをいいことに、クラスの女どもは開けっ広げに公開する。
ガンッ!!!
俺はなんだか無性に腹が立って、教室の椅子を蹴倒した。
しんっと、ざわついていた教室が一息に凍り付いた。
耳障りな声は消えたけれど、突然の静寂で俺は我に返った。
――あっ、やべっ。
つい、やっちまった。
「ごめんっ!!!サッカーしたくて、つい長い足が当たった」
一同を見渡し、俺は両の手をかち合わせる。
ほっとした顔に戻った皆は、「もう、乱暴だよねぇ」と、笑ってくれた。
「トモちゃんのお目付け役だった寧音ちゃんがいないとダメだね」
「寧音は俺のお目付け役だったの?」
確かにいつも一緒にいた気はするけれど、そんな風に俺は思っていなかった。
「ほら、それだよ!」
クラスの女の子が指摘して、俺を指さした。
「それ、寧音ちゃんの前だと『私』って、直されていたでしょう?」
「いや、そんなわけじゃ……」
――寧音に直されたんじゃない。
『私』のが似合うよって寧音が笑うから、寧音の前では意識していただけだ。
どんなに母親に叱られても聞かなかった俺が、何故か聞く気にさせられた。
でも、最初は違ったんだ。
寧ろカチンと、頭に来た。
「俺は『俺』が一番しっくりくるんだし、別にいいじゃん」
誰にも迷惑かけていないと、無性に腹が立った。
小さなことでも、どうしてだか俺は怒りっぽくなっていた。
「ん、中身はそうだよね」
寧音は俺の言いたいことに丸っと、頷いた。
「でも、国語の先生は?」
「へ?」
「体育の先生が使っていても納得だけど、国語の先生が『俺』って、使っていたら妙じゃない?」
どちらも男だけれど、体育教師はゴリラ、国語教師は眼鏡もやし。
「確かに……」
「それと一緒で、トモちゃんの見た目には『私』のが似合うってだけだよ。外見は、中身と違うものだもの」
ごく当たり前に外見と中身を別物だと考えている寧音に俺は驚かされた。
それに加えて、俺の苛立った気は萎えていた。
「寧音ちゃんにかかれば、トモちゃんも女の子してられたよねぇ」
女の子していられた訳じゃない。
俺が母親の言いつけ通りに髪を伸ばすことに抵抗しなくなったのも、寧音の言葉があったからだ。
外見と中身は違って当たり前。
俺は外見にこだわらなくなっただけだ。
だってさ、外見なんて人目の為にあるもんじゃん?
中身と同じにする必要なんてないもんな。
「トモちゃんの髪はサラサラだもの。伸ばしたらきっとすごく綺麗だよ」
寧音がうちに来た時に、兄貴たちのヘアワックスをこっそり使って美容室ごっこをしていたんだ。
寧音に触れられ、喜んでもらえるなら、何でもいいと、そう思えるようになったのだ。
寧音は心と身体のアンバランスな俺のビタミン剤だった。
どんなに苛ついていても、寧音にかかれば気が落ち着いたのだ。
その寧音がいなくなった衝撃よりも、その寧音が一番苦しい時に、俺は何もしてやれなかったことの方がきつかった。
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