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「失礼しました」
ドア越しで一礼し、踵を返した。
――あっ……。
体操着に着替えて保健室を出て来た俺を、彼女は落ち行く夕陽を背にして廊下の窓際で待っていた。
転校してきたばかりで見ず知らずだというのに、どうやら律儀な女の子だったようだ。
余裕が無く、俺はまだ一度も彼女と目を合わせていなかった。
俺はこの時になって、ようやく彼女の顔を見とめられた。
いの一番に俺はお礼を言うつもりだった。
なのに――。
「送っていくよ、なんか危なっかしいから」
彼女はサラリと告げる。
一方で俺は、出そうとしていた筈の言葉は、なんら声にならなかった。
「ああ、忘れちゃったかな?」
苦笑するその顔は少し大人びて、目鼻立ちがすっきりと端正に形作っているものの、思慮の深い瞳はまがいもなく彼女のもの。
馬鹿なんじゃねぇの?
忘れるわけがない。
「髪、伸ばして正解だったね。やっぱり、凄く綺麗だよ」
何事も無かったように、それに、昨日今日の話であったかのように、彼女は目を眩く細めた。
「……手紙もくれなかったくせに」
住所も何も知らせてくれなかった。
だから、手紙も出せなかった。
あの頃はお互いに携帯も持っていなくて、電話番号やアドレスといったものは、何も交わせなかった。
「ん、知らせたいほど面白いネタなんて何も無かったよ」
その素っ気ない返事に、益々俺は苛ついた。
「そっちは……会いたいなんて思ってもくれてなかったんだろう?」
非難じみた言葉しか出て来ない。
もっと言いたいことは他にあるのに、こんなんじゃあ、駄目だと分かっているのに、卑下た気持ちを俺は止められなかった。
「そうでもないよ。でも、こっちには会いたくない人らばっかりだったから」
沈んだ瞳を宿して、この街に近づきたくなかったことを彼女は明かした。
俺の知る少女とはまるで違う高慢な雰囲気を彼女は醸し出している。
それでも彼女は間違いなく、俺の初恋の相手、秋津寧音だった。
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