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本棚に追加花火
「しのぉ……やばい、泣けてきた」
キッチンに立つおれの手には細長い包丁。
まな板に並ぶ玉ねぎとにんじんを見下ろして苦戦していた。
隣で洗いものをしている志野が振り返り、一瞬だけ瞳をゆらす。
「ぶふ」
「ひどすぎーっ、おれ本気で痛いのにぃ」
「なんつー顔してんだよ」
「目ん玉とれるぅっ、痛いよ~!」
「玉ねぎ切るときは鼻呼吸より口呼吸を意識した方が軽減されるぞ。やってみろよ」
「そなの?」
「ああ、というかそんな泣いてる顔久しぶりに見たな」
志野はなぜか嬉しそうだ。
おれと出会って数年、泣いたり怒ったりすねたり色々できるようになったおれを心から喜んでくれている。
それが恥ずかしい反面、優しい志野にひたすら甘えたくもなってしまう。
「おれの顔好き?」
「今さらなに」
「どの顔が好きかなーって」
「ぜんぶだな」
「そういうのいいし。一番はこれとかあるでしょ」
志野はなにを聞いてもぜんぶ好きなんて答えてくるから困る。
おれのぜんぶを好きになれる人間が存在するとはびっくりだ。
「しいて言うならヤってるときのか__」
「ああぁぁぁっ!!」
「……急にうるさ。耳死んだ」
「志野のスケベ! もっと他にあるじゃんっ、笑った顔とかさぁ~!」
32歳になる男。
同棲しているこの人になにかを褒められるのが一番幸せで、一番恥ずかしい。
耳を隠したくなるほど。
「笑った顔もそりゃあかわいいけど、他のやつらが簡単に見れない顔ってのがいいんだろ」
「っ……思考おわってる」
「なんでだよ」
最近、世間では「推し活動」というのが流行っているらしく、アイドルや芸能人で特に好きな人物を「推し」と呼ぶようだ。
そしておれにとっての推しが、志野になっている。
「なんでおれ志野と付き合ってるんだろ……」
「は? 聞き捨てならない言葉が聞こえた気がしたんだが」
「だっておれの推しは志野だよ。女子高生とかがやってるうちわ作っておれも振りたいもん。それなのに彼氏って、死ぬじゃん」
「……お前は出会った当初からなんとなくそういう雰囲気あったよな。俺が推しはだいぶ変わってんぞ」
話しながらも、玉ねぎのおかげで涙がぽろぽろ出てくる。
志野はこんなときでもさりげなくタオルでおれの目許を拭ってくれて、どこかの絵本で出てきそうな王子みたいだ。
「志野の写真集ぜんぶ買いたい」
「サンプルぜんぶやってるだろ?」
「そじゃなくて、日本中に売ってるやつ」
「それは病院いけ。お前もモデルやりだしてから地味にファンでき始めてるけど、絶対2人きりで会うなよ」
志野は人の扱いが上手い。
おれに対しても甘やかしすぎることがないし、突き放しすぎることもない。
誰に対しても絶妙なバランスで接しているのがわかる。
だからなのか、最近は自分のやりたいことを誰に言われるでもなくやることができている。
推し活動も、大事なおれの趣味だ。
「志野、おれが浮気すると思ってるの? 超ウケる」
「ちげーよ、バカ。ストーカーされやすい人間の部類に入るから気をつけろってことだ」
「ファンも怖いもんね」
「肇は純粋すぎなんだ」
「うふふ、すーぐ褒める」
「いまのは褒め言葉じゃねえ」
ストーカー被害が怖くなかったといえば嘘だ。
いまだに夜は背後からの足音で怖くなって、そのたびに志野や亮雅にすがりついたりしている。
昔のおれなら恐怖なんて感情も消えかけていたんだろうけど、いまは人並み以上に感情が出てくる。
それが少し厄介にも感じてしまう。
「ぴょんぴょん、うさぎだよ」
「玉ねぎが切れたら鍋に入れてくれ。それ生で食うなよ?」
「おいし」
「玉ねぎ口ん中放りこむぞ」
「あははっ、いじめだ。ねえねえ志野、そういえば夏って花火が見れるんだよね?」
「ああ、見れるな」
「おれも見に行きたい! 花火っ」
テレビで見た花火が色鮮やかできれいだった。
花火大会というものは聞いたことがあるけど、まだ生で見たことがない。
すると志野はフッと優しく笑う。

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