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  朝。  蓮江は、目覚ましアラームが鳴る前に、スマホを手にしてそっとベッドを抜け出した。  起きてすぐさま深いため息が漏れる。  それでも足は、台所へと向かった。 「………はぁ。」    弁当につめるために、玉子焼きは前日の晩に焼いておいた。冷凍の刻みネギを入れたことで、何となく彩りよく見えるはずだ。 (…ああ、めんどくさいな。)  ソーセージは味が濃いから入れないでくれと先日、旦那に言われた。  娘は、人に見られて恥ずかしいから、可愛いおかずを入れてくれと言う。  しかし冷凍食品を多用すると、二人は必ず難色を示した。  だから、蓮江はたまの休日に弁当用のおかずを作り置きして冷凍保存している。 「………」  冷凍庫を開けてそれを眺めながら苦笑が漏れた。作り置きしたところで、品数はそれほど多くはない。 (頑張っても、こんなものか…。)  そんな他愛もない日々を先日、スマホのとあるアプリに書き込んだ。 『あなたは「お母さん」を、頑張っておられるのですね。』  すると返ってきた、労いの言葉。 「………ッ」  本当ならば喜ばないといけないのかもしれない。それはわかっている。  それでも蓮江はそっと唇を噛んだ。  蓮江は、自分が「いいお母さん」になれないことを知っていた。      *  *  *  毎朝、蓮江が作った弁当を、旦那と高校生の娘は当然のように鞄に詰め込んで玄関から出ていった。    彼らを見送った自分の弁当は、その彼らの残ったおかずを詰めただけ。   「………」  いつものことと、蓮江は、娘のお下がりの、古ぼけた弁当箱の蓋をそっと閉じる。  身支度を整え、玄関まで行くと、磨り減った蓮江の靴がひっくり返っていた。  それをもとに戻し、履く。  そして玄関を出ると、走ることなく重い足を引きずるようにバス停へと急いだ。  職場へと向かうバスは、学生たちの通学時間と重なるためかとても混む。  当然ながら座ることもできずに、仕事着を入れていたリュックサックを足元へと下ろした。  たぶん、そんな些細な衝撃にすら耐えきれず、弁当の中身は一塊になってしまっているに違いない。    おかずもごはんも一緒くた。 「…ふふ、」  まるで自分のようだと漏れた笑みは、マスクに隠れて誰にも悟られることはない。     *  *  *  昼時。  蓮江は、勤務している高齢者施設近くの公園のベンチに腰かけて、小さなトートバックを自らの横に置いた。  その中から、古ぼけた弁当箱を取り出す。  蓋を開けると案の定、弁当の中身は片寄って一つの大きな塊となっていた。 「ホント、汚いお弁当…。」  腹を満たすためだけの食料を前に、これは果たして食事なのかと、心が問いかけるのを、蓮江はそっと黙殺した。  一瞬にして曇った顔のまま、蓮江は赤い箸で塊の一部を掴む。  口に運んで咀嚼しながら、蓮江の顔は次第に下へと向かいかけていった。  しかし、刹那、  ピピ ピピ 「………!」  不意に、横に置いていたトートバッグの中でスマホが鳴った。  真下を向きかけていた蓮江の顔が上がる。慌ててスマホと取り出し、起動させた。  画面には、とあるアプリからのメッセージの着信を告げる通知が、一瞬だけ現れて消える。 (……ぁ、)  蓮江の顔が、綻び、にわかに赤く高揚していく。  だが、蓮江自身はそれに気がついてはいなかった。
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