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 昼食を終えて蓮江が高齢者施設内の事務所へ戻ると、若い女性職員二人は談笑を中断させた。  これも毎度毎度繰り返される日常だった。 「………」  わかってはいたが、術なく蓮江は、ただおずおずと事務所の扉を閉める。  しかし二人は入室してくる蓮江を見ようとはしなかった。  下唇をきゅっと噛み、蓮江は小さめの声で「戻りました」と告げる。  すると、二人は決まって大きく平坦な声で「おかえりなさーい」と笑みを含んだ声で言った。  半年前に再就職したこの施設に未だ馴染めない蓮江は、背を丸め、荷物をロッカーへと押し込もうと事務所の端へと歩みを進める。  その時だった。  ビービービー  入所者の異常を知らせるナースコールが事務所内に鳴り響いた。  壁の一角にある入所者の部屋番号の、205号室の赤いランプが点滅している。 「あー、また山内さんだねぇ」  女性職員の一人が、少し大きめの声で呆れたように言った。もう一人がふふっと鼻で笑う。 「…あ、私が行きます!」  察した蓮江はマスクの下でできる限りの笑顔を浮かべて、強めに声を張った。そして小走りにロッカーへと向かう。  その勢いで弁当箱の入ったトートバックをロッカーに投げ入れた。  そのまま足早に事務所を後にした。  高い日差しの差し込む灰色の廊下を、コツコツと、早歩きで歩く蓮江の足音だけが響く。  階段を駆け上がり、2階へと到着する頃には少し息が上がっていた。  整えぬまま205号室へと向かい、ネームプレートを確認する。  入所者の名前は山内典子。  名前を確認し、部屋入り口にある、異常を知らせるランプを切り、ドアノブに手を掛けた。  そして小さく息を吐く。 「山内さん、どうされましたか?」  開けると同時に、蓮江は意識して穏やかに声を張った。  山内典子は、入室してきた蓮江を見やると、眉根を寄せて小さな声で「おむつが、」とだけ告げた。 「あ、はい、すぐに取り替えしますね、」  脳梗塞の後遺症で手足が不自由な典子は、おむつを自分で替えることができない。  吸水性の優れたおむつは数回尿が出たとしても、肌に負担を掛けることはなかった。そのため、頻繁に交換しなくても良いのではないかと、施設の職員の多くが考えていた。 (でも、)  それでも典子は不快なのだ。  蓮江は、穏やかに微笑み、淀みなく典子の身を清めると、そっと布団をかけ直した。 「…ありがとうございます。」  羞恥心を隠しきれずに俯く典子に、蓮江は「お気になさらず」と静かに声をかけた。  今年85歳になる典子は、一度も結婚することがなかったと聞く。  さらに兄弟もいない典子を見舞う人間を、蓮江は一度も見たことがなかった。 「………」  それを可哀想だと言えるのかは、蓮江にはわからなかった。
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