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竜吉は笑いはじめた。
「いつ盗まれたのかはっきりとわからないのがいやだね」と孝蔵は言った。本当にわからないのだった。
「わからない?」竜吉は真顔になって聞いた。
「その男はどんな奴?」孝蔵は貞二にたずねた。
「年恰好は旦那に似ていますが、少々抜けているというかあほなところがあるようです」貞二は答えて得意になっているようだった。
「そうか、偽物だ」竜吉は膝を打ち姿勢を正して「わしも仕事があるのでここらへんで失礼する」と頭を下げて去って行った。
「どこに行くのだろう?」
「あっしがあとをつけてみましょうか?」
「いい、そんなことしなくても」孝蔵は断った。
「湯屋っていうのはいい仕事なんですね」貞二は興味津々という感じで中を見た。「まだお姉さんはいないぞ」孝蔵は言った。
「そんなんじゃなくて、これからのあっしの仕事に役立つものがないかと思いやして」
「ないと思うけど」孝蔵は少し冷たく言ってみた。
「これは済まねえ」
「いいの」
「いいの?」
「いいんだよ。それよりどこに行くつもりだったのか貞二のほうが気になるよ。あたしは」孝蔵は気持ちをくすぐるというか、貞二の心の中を見ているつもりだった。孝蔵の言うことは的外れかもしれないと思いながらも。
「これは気にしていただいて嬉しいですよ」と貞二は珍しく言った。
「いつも気になるよ」
「そりゃいいですね」
「貞二には世話になっている」
「これはどうも」
「今度一緒に飲もう」孝蔵は言った。
「あっしがお供でいいのですか?」
「構わん」
「それじゃ近いうちに」と貞二は道を歩いて行った。
「情報屋と飲むのですか?」と不思議そうに小僧はたずねた。
「何、口約束のよささ」と孝蔵は笑った。
「何だ、そんなことだったのか」小僧は納得したようすだった。
「まあそちもそのうちわかるよ」孝蔵に言われて小僧は笑った。
孝蔵は考えていた。これから何年か何十年かすれば、いやする前に彼はいなくなりこの小僧の時代になることは確実だなということを。
永遠に生きることはできないのだ、と孝蔵は考えていた。小僧は釜を手入れしはじめた。
「なかなか出来がいいな」と孝蔵は小僧をほめたのだ。
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