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◆  途中、梓はだれにもすれ違わなかった。道はアスファルトで舗装されているが、車の音は聞こえない。  額ににじむ汗をぬぐう。裾から入り込む風で体の熱を冷ましつつ、黙々と歩いた。  数分歩いていると、開けた場所に出た。  そこは学校の校庭のようにただ広い空間で、背の高い木々が周りをぐるりと囲んでいた。  かなり高いところまで来たらしい。  木々の隙間からは先ほど降りたバス停が下の方に小さく見えた。  不思議な空間だった。足元の茶砂の上には、落ち葉の一枚もない。  中央がぽっかりと空いていて、隅の方に篝火をたくための籠が何個もまとめておかれていた。  ちょうど上ってきた坂の反対側には木造の小屋がある。  ひときわ目を引いたのは、小屋の横にある縄の張られた空間だった。  所どころ黒ずんでいる縄は相当年季が入っている。それは四隅に穿たれた杭に結ばれ、なにかを守るように輪を描いていた。 「なんだろう、あれ」  視界の隅に写ったそれに、梓はつい足を向けた。  縄が守っているのは緑色の塊……近づいてよく見てみればそれは石で作られた祠で、屋根をびっしりと苔が覆っていたのだった。 「……うわ」  その周りだけ、空気が湿っているようにも思えて、梓は少し体を引いた。 それでも、不思議と嫌な感じはしていなかった。  吸い込んだ空気はひんやりとしていて、すっと胸に染みわたり、むしろ清々しいような――。 「って、気のせい気のせい」  梓は首を横に振って、感想を打ち消した。  元来た方を振り返ろうとしたその時だった。 「近づくな!」  鋭い声に梓の肩が跳ねた。声の方を見る。坂道の方に人が立っていた。  学生服を着た少年だった。年は梓と同じ中学生くらい。  ただ、彼の背筋はぴんと伸び、堂々として落ち着いた雰囲気がある。自分よりも大人びて見えた。  少年は茶砂を踏みしめ、早足で梓に近づいてきた。梓がなにか言うよりも早かった。 「そこは水龍神(すいりゅうじん)の御社だ。それ以上近づくな」 「は……?」  聞きなれない単語と威圧的な口調に一瞬思考が止まる。  少年は不機嫌な様子を隠すことなく続けた。 「お前、なぜここに近づいた? 結界が目的か」  なんで私は今、疑われているのだろう。ワケが分からない。 「いきなりなんなの?」  少年につられるように語気が荒くなる。  体の奥でぐらぐらと熱いものが揺れているのを感じた。頭の片隅の冷静な部分が、落ち着けと警告を発している。 「知らないなら、すぐにここから出ていけ。神罰が下る」  そもそもこの人は誰なのか。なんでそんなに上から目線なのか。  色々な考えとともに、煮えたぎった熱いものが自分の体の中を走り抜けていく。ぴり、とした気配に梓は思わず自分の右手を強く掴んだ。  また一歩近づいた少年はしびれを切らしたのか、右腕を梓に向かって伸ばした。 「いいから、早くそこから離れろ!」  次の瞬間。バチっ、という音と共に二人の間を電撃が駆け抜けた。 「っ……!?」 「あ……」  沈黙が落ちる。反射的に腕を引いた少年は、黒の瞳を見開いて梓を見ていた。梓は地面に目を落とした。  やけに静かな広場の空気が重い。  ややあって、少年が口を開いた。 「外から来たのか?」  まだ語気は強いが、先ほどよりはいくらか冷静な口調だった。梓はわずかに視線を上げて、うなずいた。 「なんでわざわざこんなところに?」 「親戚の家に来たの。宮瀬(みやせ)って人のところ」 「宮瀬……」  少年はつぶやくと、梓の持つカバンに目を向けた。そして苦々し気に顔をゆがめた。 「まさかお前、城崎 梓?」 「そうだけど……」  梓が答えると、少年ははあ、とため息をついた。  なんでため息つかれなきゃいけないの……!  あからさまに嫌そうな表情に、梓はまたカバンを持つ手を強く握りこんだ。 「あなたこそ、だれなの? なんで私のこと知ってるの?」 「宮瀬。……俺は、宮瀬(みやせ) 羽鳥(はとり)。今日、居候がくるって聞いてはいたけどな……」 「え」  今度は梓の顔が歪む番だった。  まさか、親戚の家とはこの少年の家なのか。  やっぱり、やっていける気がしない。ぜんぜん大丈夫じゃなかった。  ぼうぜんと立ち尽くす梓を一瞥し、少年はくるりと背を向けた。そのまま坂道の方へと歩き始める。 「どこいくの」 「家に決まってるだろう。だいたい、お前はなんで正反対に来てるわけ?」 「……」  少年はそういうと、さっさと坂を下って行った。  まったく見当違いの方向へ来ていたなんて。  梓は心中で若干のショックを受けながら、急いで彼を追いかけた。
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