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 滔々と語られる佐山の論は、梓に口をはさむ間を与えなかった。聞かせているようで、独りでただ語り続けているだけ。まるで梓のことなど、佐山の目には入っていないようだった。 「それに、水龍神の加護は豊穣をもたらす。かつて荒れ果て、貧困に苦しんでいたこの地に、作物を実らせ復活させたように。つまりここに建てられる工場もまたその恩恵を授かることができる。永遠の繁栄を約束されたようなものだ! これ以上ない好条件だろう?」  水龍神が豊穣をもたらす。荒れ果てた土地には緑が茂り、作物が育ち、人々の生活は豊かな物へと変貌した。それは昇からも聞いたことがあった、この地の伝説だ。  梓は水龍神を否定するわけではない。以前だったらどうか分からないが、今では決して無関係とはいえないのだから。  それでもこれは――。 「本当にそう思ってるんですか?」  尋ねざるを得ない。目の前の佐山は、陶酔を通り越してもはや狂気じみている。この話はあくまでも『伝説』だ。 「本当にそうだとしても、現実的じゃない」 「もちろん現実的な理由はある。それこそ地価だったり、金の話になるけど。……でも、そんなものは少しも『俺』を救ってはくれない。もう俺には夢物語に縋るしか方法がない。そう、そうだよ……分かってはいるんだ…………!」  日が落ちる。闇が佐山を塗りつぶす。 「っ……ははははは!」  壊れたような笑い声が響く。見開かれた彼の目だけ爛々と光って見えるような気がした。 「そうだよ! こんなのはただのおとぎ話だ、妄想だと言われるのがオチだ! そんなことは分かっている! でもな、俺にはもう後が無い! この事業は失敗するわけにはいかない……! いくら馬鹿にされようと、この地に縋るしかない。それが俺が天道製菓で上に昇り詰めるための唯一の手段だ!」  がらりと変わった口調。なにかに追い立てられるように早口で佐山は叫ぶ。  この人は憑りつかれている。欲望、自身を蝕む焦燥、重圧、そして水龍神の力。さまざまなものが蔓となって、彼の全身に絡みついている。  胸のあたりが苦しい。彼の身の内からあふれ出す狂気の一端を垣間見て、体の震えが止まらない。  梓はその場から走り去った。これ以上、頭の中をかき乱す笑い声を聞きたくなかった。  夢中で走り、家へと戻る。玄関の扉をあけ放つ。 「……騒がしいな」  駆けこむと、ちょうど羽鳥と鉢合わせた。羽鳥は息を切らせる梓に怪訝そうな表情を向けた。 「どうかしたのか?」 「あ、その……」  佐山のこと、話すべきだろうか。  梓は少し悩んで、首を横に振った。あの様子を説明するには、まだ整理がついていない。 「なんでもない。それより、日記読み終わった」  話題を変えてみると、羽鳥はそちらに乗っかってきた。 「なにか分かったか?」 「まあ、色々と」 「あとで話すか」  どこかでまとめて話したいと思っていたところだ。梓は素直にうなずいた。  話は終わった。羽鳥はその場から立ち去ろうとして、視線を下に落とした。 「それは?」  つられて梓も自分の手元へと視線を落とす。 「あー……」  天道製菓の紙袋。しまった。結局持ち帰ってきちゃった。 「芦原くんからもらったお土産。お菓子だって」 「……そうか」  うわぁ。むすりと答えた羽鳥の表情ったら。  内心嫌なんだろうけど、それを頑張って隠そうとして、結局隠しきれてない。そんな微妙な顔をしてる。予想通り眉間の皴は三割増しだ。  羽鳥はさっさと居間の方へと歩いて行ってしまった。
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