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◆
夕方には風は一層強くなっていた。山の木々が揺れて音を立てている。
それが集落全体に響いていた。
どこか落ち着かない。
梓は野菜を洗う手を止めると、窓の方に視線をむけた。
「明日はちょっと落ち着くといいけどねぇ。天気はいいみたいだけど」
隣でフライパンを操っていた志保も、困ったように言う。
「ここ数年、お祭りの時は穏やかだったから、今日みたいなのは久しぶりだわ」
「そうなんですか?」
「ええ。不思議よねぇ。これも水龍神様のおかげかしら」
そんな話をしながら夕食の支度を進めていると、羽鳥が戸口から顔をのぞかせた。
「ちょっと舞場に行ってくる」
「なにかあったの?」
「風が強いから、結界を確認しに行ってくる。一時間くらいで戻ると思う」
梓にはなんのことだかさっぱり分からない。しかし、志保はそう、とうなずいた。
「でも一人じゃ大変でしょう? お父さんもまだ氏子さんのお家から戻ってきていないし……」
「まあ一人でもできないことはないけど……」
言葉が途切れる。梓は作業の手を止めて、うつむいていた顔を上げた。
志保と羽鳥の視線が梓に注がれていた。
で、ですよね……。
外に出ると、辺りは薄暗くなり始めていた。
舞場に着くと、羽鳥は迷いなく奥へと足を進めた。
苔の蒸した石の祠。その周りを守るように、四方に張り巡らされた色あせた縄。
忘れもしない。水上に来た最初の日、羽鳥に怒鳴られた場所だ。
「この祠って結界だったの?」
「正確には、周りに張ってある縄が結界だ。この祠は水上の要――水龍神の逆鱗が祀られていると言われている」
羽鳥は新しい縄を取り出すと、先端を梓に差し出した。もう一方は羽鳥が自分で握っていた。
「そこの杭に結び付けて。古いやつの上に」
言われた通り、色あせた縄の上に先端を結び付ける。
「逆鱗って、『逆鱗に触れる』の逆鱗のこと?」
「ああ。水龍神の逆鱗には膨大な力があって、それが水上に加護をもたらしているという。だが、逆鱗に触れれば龍は怒る。そのために普通の人が触れることのないように結界を張っている」
つまり、あの時縄に近づいた梓は。
「触れちゃいけないものに触れようとしている風に見えたってこと……」
「まあな。水上の人間は子供の頃からうるさく言われていることだから、祠に近づくことすらしない。すぐに外の人間だと分かったけど」
一辺が張り終わり、羽鳥は少し身をずらす。また縄を取り出すと、杭の一本に結び付けた。
「それに、水龍神は穢れに弱い。もし結界が解けてしまったら困る」
四辺全てを張り終え、古い縄を取り去る。最後に羽鳥は縄に向かって手をかざすと、なにかを唱えた。
瞬間、ぱっと白い光がはじける。ほのかに縄が光を帯びたように、梓の目には映った。
「今の、祓の力?」
わずかに縄から感じられる気配は、梓もよく知っている。羽鳥はうなずいた。
「おばあちゃんから教わった。自分の力を少し込めて結界を補強する方法」
「へえ……」
そんな使い方もできるのか、祓の力。未だに光線を放つことしかできない梓にとっては目からうろこの話だ。
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