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 不意に梓の頬を冷たいものが濡らした。雨粒が地面の色を変え、まだらに模様を作り始めた。 「うわっ、傘持ってきてないよ」 「とりあえず、あそこに入るか」  羽鳥は視線で東屋を示した。  屋根の下に駆け込むと、すぐに雨足は強くなった。 「予報は晴れだったし、すぐに止むとは思うけど……」  羽鳥はそれきり口を閉じた。  雨粒が地面をたたく音。そして風が木を揺らすざわめきが、静寂の中にたたずむ舞場に響いた。  風の音なんて珍しくもない。それなのに今日はやけに耳につく。 「……そういえば龍神祭ってなにするの?」  思い出したように話題を振る。羽鳥の視線は雨に濡れた舞場へと注がれていた。 「月がのぼってから、朝日が顔を出すまで――一晩中、舞手が舞を舞い続ける」 「一晩中!? 一人で?」 「さすがに途中で父さんと交代する。それでも夜九時くらいから始まるから、五時間くらいは舞うことになるな」 「五時間……」  それはなんというか、大変そうだ。  実際、梓の想像が及ばないほどに大変なのだろう。しかしそれ以上の言葉が見つからない。 「本当によくやるね」  これは嫌味とかではない。そんな過酷な状況、自分だったら絶対に嫌だと思うし。 「それが普通だったからな」  状況を嫌がるわけでもない。過酷な役についている自分を特別誇るわけでもない。  それが当たり前だと羽鳥は言う。それもやっぱり――。 「水上が大事だから、か」  つぶやくと、羽鳥の顔が勢いよく梓の方を向いた。信じられない単語を聞いたと言わんばかりに大きく目を見開いている。絵にかいたような驚愕の表情。 「おま、なんでそれ」  なにそのレアな顔。思わず心の中でツッコんでしまった。 「前、熱だしたときに言ってたじゃん。自分で」 「舞奉納の時か……!」  全然覚えてねぇ。羽鳥がうめく。 「まあだいぶ朦朧としてたし、無理ないんじゃない?」  声をかけると、羽鳥は耳を赤くして横を向いてしまった。  どうやら触れてはいけなかったらしい。  羽鳥はしばらくそっとしておこう。  手持無沙汰になった梓は、東屋の屋根をつたう雫を目で追っていた。  雨足は弱まる気配がない。雫が地面に落ちる。水たまりの上で跳ね、ポトンと音を立てた。  ポトン。ポトン。  繰り返される音の中に、違う響きが混じった。  濡れた砂を踏みしめる靴の音。  梓は視線を舞場の方へと移す。  雨粒のカーテンの向こうに人影が佇んでいた。 「あれって佐山さんだよな。なにやってるんだ、傘もささずに」  いつの間にか羽鳥もそちらに視線を向けていた。もう一度梓は人影に目を凝らす。  見慣れたスーツと赤いネクタイ。  雨に濡れて雰囲気は少し違って見えた。でも、間違いない。  佐山は雨に構うことなく、まっすぐに舞場の奥へと歩を進める。  先日触れた狂気が頭をもたげた。  彼はまだなにかに憑りつかれているのではないか。
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