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「千沙さん、お水どうぞ」  テーブルの上のコップにお水を注いでくれた黒川を見つけた。喉も潤したいが、その前にやることがある。 「申し訳ありませんでした!」 「えっ! や、やめてくださいよ!」  私は黒川の足元で土下座した。彼は慌てて腕を引いてソファーに座らせた。 「愚痴を聞いてもらっただけでなく、こんなに迷惑をかけるなんて」 「千沙さんが情緒不安定なのは知っています。僕のことは気にしなくていいですよ。あの、先に髪を乾かしましょう」 「ん?」  私を座らせたまま、黒川が持ってきたドライヤーで髪を乾かし始めた。優しい手つきで何度も髪を撫でられると何もしていないのに涙がこぼれた。 「い、痛かったですか?」 「ううん……こんなに優しくされたことはなかったな、って思うと悲しくなって」 「孝也さん亭主関白でしたもんね」 「思えば、私の方が給料が上だったこととかも嫌だったのかもしれない。給料日に嫌味言われたこともあるし」 「そんな、孝也さん経理で内勤じゃないですか。営業企画は出来高で給料も上がるんですから優秀な千沙さんの方が給料が良くて当たり前です。パートナーの頑張りを喜べないなんて器が小さい男だったんですよ。それに浮気する男はクズです」 「うん……クズだ。でも私が子どもが出来る体だったら違っていたかもなぁ」 「不妊治療したら望みはあるんでしょう?」 「そうは言われたけど……」 「どっちみち不倫したからクズですよ。さあ、乾きましたよ。もうなにも考えずに寝てください」 「服が乾いたら、帰るよ」 「もう、夜中ですよ。今更ですから泊まって行ってください。……今夜のことはなかったことにしてあげますから」 「なかったこと?」 「はい。千沙さんは、考えることを放棄して、眠るんです」 「いいの?」 「今夜だけです」 「ありがと」  黒川は私をベッドに誘導すると、寝かしつけまでしてくれた。髪を撫でられて、心地よくなって、私は黒川の服のそでを引いた。 「千沙さん?」 「今夜だけ」  体温が恋しくて黒川の手のひらに頬を寄せた。細井は妊娠三か月だと言った。病院で不妊の検査を受ける前にはもう二人は関係を持っていて……そういえば孝也と私はセックスレスだったと思い当った。てっきり検査結果にショックを受けてしばらくはそんな気にもならなかったのだと思っていたけれど、あの時にはすでに細井を抱いていたのか……。 「あの、千沙さん、これは、ちょっと、まずいっていうか。僕も男なんで……」 「うん……ごめん、今夜だけ、なかったことにして」 「……」  寂しくて、手だけ貸して欲しいと思って見上げると、黒川が困った顔をしていた。 「ご、ごめんなさい……」  黒川が優しいのをいいことに、甘えずぎた自分にハッとした。誰かに甘えるなんて私らしくない。すぐに手を離して体を起こすともう一度黒川に頭を下げた。散々迷惑をかけた挙句に、ベッドだって占領していた。とんでもない女だ。無言になった黒川に申し訳なく思っているとピーと音が聞こえて乾燥が済んだことが分かった。 「あ、あの、乾いたみたいだね。や、やっぱり帰る」 「泣かないで千沙さん」 「え?」  そこからのことはスローモーションのように感じた。知らぬ間にまた涙をこぼしていた私を黒川は抱きしめてくれた。優しく後頭部を押されて、私の涙が黒川のシャツの肩を濡らした。 「孝也さんのこと、忘れられないですか?」 「ううん、そうじゃなくて、人肌恋しくてみっともなく黒川にすがっちゃって……自己嫌悪っていうか」 「……体温分けましょうか?」 「分けてくれるの?」  聞くと黒川が布団をめくって私の隣に入ってきた。そのまま、背中に回った手が私をそっと抱きしめた。孝也は行為の時だけ一緒にベッドに入る人だったので、セックスしないのに男の人と一緒に寝るなんて不思議な感覚だった。 「ごめんね、今夜だけ」  私はまた言い訳をして黒川を抱き返した。誰かに抱きしめてもらって横になるって、こんなにも心の安定感あるんだ……。そのまままどろんでいたけれど足の位置が収まりつかなくて黒川の太ももに当たってしまった。でも、あれ? これって……。顔を上げると黒川がバツの悪そうな顔で真っ赤になっていた。 「千沙さんが魅力的だから、仕方ない現象です。そのうち落ち着くので」  よく考えたら黒川の腕に胸を押し付けていたようなものだ。下着もつけていないのできっと露骨な感触だっただろう……。私が誘ったようなものだ。 「……私で良かったら、する?」 「え?」  こんな女でも興奮してくれるんだ、と思えばそんな言葉が零れ出た。きっと女性には困らない黒川だ、今夜抱いてくれたとしてすぐに忘れてくれるだろう。でも、そもそも…… 「私じゃ無理か……」 「そんなこと、あるわけないでしょ!? そうじゃなくて、いいんですか?」 「いいよ」  私が答えると黒川は息を呑んだ。 「誘ったのは千沙さんですからね」 それから一呼吸置いてから黒川は唇を合わせてきた。
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