レンタル両家顔合わせ

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レンタル両家顔合わせ  (まさる)は酷く緊張した面持ちでレストランに入ってきた。 レンタルブースで何度も服装のチェックを行ったが、不安は拭えない。 丁寧に整えた髪型良し、借り物のスーツ良し、ネクタイ、ハンカチ、普段は付けないネクタイピンの位置も良し。 少し遅れてついてきてくれた初老の男性が優を安心させるように肩を叩く。 「大丈夫ですよ。安心してください。我々がついておりますので」 「は、はい。よろしくお願いします。“お父さん”」 「ええ、優さん。任せて頂戴ね。必ず成功させますからね」 安心させるように初老の女性もにこりと微笑む。 優はふっと軽く息を吐きだすと、待ち合わせた女性の元に向かう。 今日は結婚前の両家の顔合わせの日。失敗するわけにはいかないのだ。 優は一か月前の事を思い出す。 「もうそろそろ家族に会ってもらえないかな、優君」 いつものデートの中、喫茶店で彼女からそう切り出された時、優は動揺を抑えるのに必死だった。 夜勤のコンビニで常連客だった彼女に一目惚れをしたのは一年前のことだったか。 黒い長髪が素敵な清楚な女性。 毎夜十一時頃に訪れる彼女は仕事帰りに寄ってくれるのだろう、カジュアルジャケットにロングスカートがとても似合っていて、見惚れてしまって袋は要りますか?の言葉すら震えてしまう。 そんな優の落ち着かない様子にもにこにこと笑って、少しだけ世間話をする。 優にとって、いつも柔らかく微笑んでくれる彼女に惹かれていくことは自然な事だった。 ただのコンビニのアルバイトがお客さんを好きになるなんて。 素敵な女性過ぎて、声を掛けるなんてとてもできない。 恋心を自覚することがあっても、優はその一歩を踏み出すことはできなかった。 そんなある夜、彼女が酔っ払いの男性に絡まれた。 優は、今動かないといつ動くと言うのか。胸の奥にあった小さな勇気を振り絞って二人の間に入る。 震える声で酔っ払いの男性を宥め、彼女から離れるように誘導した。 酒臭い息を吐きつけられながらもなんとか男性をコンビニからご退場いただくことができたとき、安心しすぎてへたり込んでしまったほどだった。 「助けてくれて、ありがとうございます」 心底ほっとしたような彼女から感謝されて、優は勇気を出してよかったと心底思う。 あの……とそっと差し出されたのは名刺で、彼女の連絡先が書かれていた。 「今度改めてお礼をさせてください」 頬を少しだけ染めて彼女が言ってくれたその言葉を、何度も何度も宝石のように思い出しては、約束した日を楽しみにしたものだった。 お礼をとコンビニの近くの喫茶店で珈琲を奢ってもらったのをはじめとして、彼女と何度も喫茶店でお話をすることになった。 二度目からは奢りますと優が彼女に伝えると「今風に割り勘にしましょう。その方がまた会ってお話しやすいですし」とにこりとかわされてしまう。 次第に名前で呼ぶようになり、喫茶店以外で会うことも増え、優は清水の舞台から飛び降りる気持ちで彼女に告白した。 「こちらこそよろしくお願いします」 そう、はにかんで笑った彼女はとても可愛らしかった。 それからも彼女との交際は順調に進み、幸せを噛み締めていた。 そして彼女に見合う男になろうと何社か面接をし、仕事は厳しいが一から叩き込んでくれる土木業者に就職することができた。 彼女と結婚についても話すことが増えてくるようになった。 そんな折に、彼女から両家の顔合わせの話が出たのだった。 一か月後、海外で生活していた彼女の家族が日本に戻ってくる。その日に両家の顔合わせをしたらどうかと。 優は酷く動揺した心持のまま、家に帰ってからネットで詮索した。 『児童養護施設 結婚 報告』 『孤児 結婚 反対』 優は捨てられた赤子だった。 両親の顔は知らない。 赤子の頃に養子に出されたこともあったが、酷い夜泣きで育てられないとすぐに施設に戻されたそうだ。 それからは元気がない、睨んでいるような目つき……普通にしているだけだが選ばれることはなかった。 それから十八で施設を出てから一人きり。アルバイトを転々としながら生きてきた。 そんな自分と結婚してくれようとする彼女がいるのに、まだ自分の育ちを打ち明けることができないでいた。 彼女は家族に紹介するのを待ち遠しいように話をしてくれる。 どうしようどうしよう……。 焦る優が夜中にネットで見つけたのは『レンタル家族』というサイトだった。 どうやらこのサイトは両親から兄弟、親戚、はたまた妻夫など家族を貸出してくれるサービスだった。 その中で見つけたのは『レンタル家族:両家顔合わせパック』。 【一日8万円で衣装から家族親兄弟まで、最高のあなたの「家族」を貸出します】 その一言に釣られた優は気が付けば説明に釘付けになっていた。 ・親と疎遠な方、縁を切っている方。 ・最高の家族で相手の家族の覚えもばっちり。 ・今なら家族写真贈呈中。 ・アフターサービスで結婚式の招待客セットも割引。  ※もちろん両家顔合わせのスタッフも優先予約実施中です! 優には家族と言うものがわからない。 集団生活は慣れていたけれど、本当の家族というものが経験したことが無いのだ。 いつかは……いつかは彼女に打ち明ける気ではいる。 だけども……。 優は気が付くと彼女の家族が日本に戻ってくる日のレンタル家族の予約ボタンを押していた。 大変怪しそうなサイトではあったが、レンタル家族は非常に事前サービスが充実していた。 当日に家族として接する時に自然に慣れるようにと何度かスタッフと過ごす機会があった。顔合わせの時のマナーや話題選び、呼び名や幼少期のエピソード作成、それらの講義を両親役のスタッフと共に練習することができたのだ。 そうして迎えた両家の顔合わせ。 非常に緊張した面持ちで挑んだのだった。 待ち合わせの席に行くと、彼女とその両親がすでに着席していた。 「まぁ、あなたが優さんね」 彼女の両親はとても上品で優しそうなご夫婦だった。 彼女そっくりの美人の母親はおっとりと笑い、ロマンスグレーの髪を丁寧に撫でつけた彼女の父親は、寡黙ながらも目元を優しく緩めて微笑んでくれる。 ああ、こんな方々に嘘を……優の心に後ろめたい気持ちが湧き上がる。 「いつも電話でね、この子ったら優さんの話ばかりしているのよ」 「もう、お母さんってば!恥ずかしいんだから」 「いえ、僕もいつも百合子さんにはお世話になって……」 大人びた彼女が見せる子どもらしい一面に、優の申し訳ない気持ちは一層強くなる。 「こちらも息子がお世話になっています。優は百合子さんに出会ってから変わりました。彼女に見合う人になろうと努力し始めたのです」 「本当に、息子がここまで熱心になったのも百合子さんのおかげね」 こちらの両親役のスタッフもここぞとばかりに優を推してくれる。 出てきた料理の味がわからないまま必死に言葉を交わす。 優の心とは裏腹に両家の会話は弾み、彼女もとても嬉しそうだ。 「それでね、向うの家にはペットのにゃるちゃんがいてね、写真が……」 「こーら、百合子。食事中にスマホを出すのはマナー違反でしょう?」 「あっいけない!私ったらうっかり……」 「いえ、また写真見せてください。きっと百合子の家で飼っているペットだったら可愛いですよね」 「優君ありがとう。また見てね。きっと向うの家も遊びに来てくれたら気に入ってくれると思うの」 そういえば食事と会話の相槌に必死過ぎて、彼女の両親がどこの国に住んでいたのかを聞きそびれてしまった。たしか海外駐在員として働いているんだっけ? 「いやぁ、本当に優君は良い方ですね。今日顔合わせができて良かったです。うちの百合子をよろしくお願いします」 「は、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」 気が付けば2時間が過ぎていた。優はがちがちに固まったまま、なんとか両家の顔合わせが無事終わりそうだということにほっとする。 このレストランの上の階のホテルに泊まる予定という彼女の一家と別れて、優は帰路につく。 電車で乗り継いだ場所までレンタル家族は付いてきてくれる。そんなフォローもばっちりとついている。 「すみません、助かりました」 「いえ、このご様子ですと大丈夫そうですね。優さん、向うのご家族もきっとお気に召していますよ」 「だと良いんですが……」 「そう深刻そうになさらないでください。割とこういった依頼は多いですので」 「そうですか……」 前金三万、残りの報酬は後日振り込みの予定だ。 優は無事終わった両家顔合わせが終わったことにほっと息を吐きだした。 「あぁ、本当に優君ってば、食べちゃいたいぐらいに可愛い」 優を見送った彼女の一家はフロアに佇んだままだった。 「ええ、本当に純朴そうで良い青年ですね」 「ふふっ一目ぼれしたのだけれど、中身も本当に可愛くて……ああ、早く連れて行くのが楽しみね」 「長く準備していたそうですので、上手くいってよかったです。“当店をご利用いただき、ありがとうございました”」 レストランごと、ぐにゃりと空間が歪む。 「ええ、一年前からこのスキンをお借りしていたのだけれど、彼の好みにあってよかったわ」 「清楚系美人のスキンでございますね、当店でも良く借りていく方がいらっしゃいます」 「ふふっ。彼の好みにして正解だわ。でも彼奥手だから話も全然進まなくて……酔っ払いも借りたのだけれど、中々良い働きをしてくれたわね」 「ありがとうございます。当店一の酔っ払いの演技ができる者でして……しかし、ペットのお話をされた時にはひやりと致しました」 「あらあらついね、向うの世界のニャルラトホテプがとても可愛いから見せてしまいそうになったわ」 「お戯れを。あなた様の本体もそうですが、写真越しでも普通の人間では発狂してしまいますよ」 「少しずつ耐性を付けておかないとね。ああ、楽しみだわぁ。あの薄幸そうでお人よしなのがたまらなく魅力的なのよね。世界と切れても誰も気にしないのも気に入っているわ。これで顔合わせも終わったことだし、結婚という契約を結んで早く私の世界に連れて帰りたいものだわね」 「アザトース様、お手柔らかに。人はすぐに狂ってしまいますので」 「ふふ、わかっているわ。大切に大切に可愛がってあげるもの」 にたりと、外なる神は笑みらしきものを浮かべた。
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