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福岡県福岡市の某所に、在日コリアンの人たちが集住する街が所在する。
この街の片隅に構える一軒のベーカリー。その名も「松島ベーカリー」。店主のコ・ヨンチョルの家族は戦前に済州島から日本に渡り、それ以降、この地区で四代に亘ってベーカリーを営んできた。
現在、ヨンチョルは大学院で数理経済学を専攻する一人娘のヒスンに店を継がせるか?それとも娘本人の意志を尊重して数理経済学者の道を歩ませ、店の経営は第三者に任せるか?…ということで思い悩んでいる。
ある朝、パンの仕込みも一段落して何時ものように自分が起床した後に郵便受けに投函される新聞(『落日新聞』という紙名)を読もうとしたところ、一面トップでこのような記事が彼の目にとび込んできた↓。
外国人参政権認められる
20XX年?月!日、国会において外国人参政権法案が衆議院・参議院を通過して賛成多数で可決された。これにより、外国籍を有する在日コリアン・華僑・日系ブラジル人、その他の在日外国人の選挙権・被選挙権が認められることとなった。外国人の参加する初の選挙は20XX年&月%日に実施される東京都知事選となる予定。その後は国政選挙・衆参両議院選挙・都道府県知事選挙・市町村長選挙を問わず、日本人のみならず在日外国人の声をも国政に反映させ、より正確な民意を割り出せることが期待される。外国人参政権の付与に際し、東京都足立区にて雑貨店を営むユン・スウォルさん(65歳)は「私たちの悲願であった在日外国人参政権が、ようやく認められるようになった。これで自分たちの声が政府に届き、私たち自身の手で政治家を選べることになったのは嬉しい」と話している…
(ふうん...。外国人参政権が、遂に認められることになるのか…)
ヨンチョルは紙面をしげしげと眺める。
生まれてこの方、日本国内で選挙に出向いたことのない、そして今までその資格すらなかったヨンチョルではあったが、どうも「自分たちが自分たちの手で政治家を選べる」「自分たちマイノリティを出自とする国会議員・市区町村議会議員・市区町村長も輩出できる」という実感が沸かない。ヨンチョルは常々「自分の目の黒い裡は選挙に行くこともないだろう」と半ば諦観していた。勢い、ある日突然「貴方たちもこれからは国政に参与することができますよ」と新聞で報じられたとしても、喜びよりもむしろ戸惑いの方が大きかったのである。
「ふぁ~あ…。おはよう…アバン(済州島語で「お父さん」という意味)。どうしたの?浮かない顔なんかして…」
徹夜に近いくらいに粘って数理経済のレポートを執筆していた娘のヒスンが仮眠明けにコーヒーを飲もうとして2階の自分の部屋から1階のリビングに降りて、そこで困惑した顔をしている父親を見て話しかける。
「…ん?あ、ああ…。おはよう。ヒスン、今日の新聞に外国人参政権が私たちコリアンにも認められるようになった、と書いてあったんだ。それで、今まで日本で選挙権も被選挙権もなかった自分たちに、いきなりそんなことを言われても…と思って、アバンも困惑しているんだよ」
それを聞いたヒスンは、「選挙権だの被選挙権だの、そんなものはどうでもいい」という顔で「う~ん…」と伸びをする。
「へぇ…。そうなんだ…。まぁ、どうせこれも自権党とかいう与党の人気取りの一環だと思うよ…。私の友達で、政治力学を専攻している日本人院生の女の子が『アイヌ民族基本法』施行前後の民族マイノリティの支持政党の動向をアンケート調査してレポートで発表したけど、彼女の仮説通りの結論がはじき出されたからね…」
しかし、そんなヒスンの話をヨンチョルは聞かなかった。というのも、ちょうどオーブンに放り込んでいた食パンが焼き上がったので、彼は話の途中で急いで厨房に駆け込んだからである。
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