レンタルママ

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 『レンタルママ承ります』  様々なものがレンタルできる現代、何というものが借りられるようになったのか?  俺は郵便受けに溢れんばかりに押し込められていたチラシの中に、たまたま目に止まったそれを見つけて拾い上げていた。 「て、天の救いか……?」 というのも、二年前に交通事故により妻に先立たれて以来、悼む間もなく育児や家事、それに仕事に追われていた俺は、真剣に過労死の危機に瀕していたからだ。  働きながら主婦業をこなすと言うのは本当にキツかった。  世の女性たちには頭が下がる思いである。  妻の忘れ形見になった娘の実里(みのり)は、この春から小学一年生になった。 そして俺は、世間のママさんたちが俗に言う『一年生の壁』というものを痛感していた。  とにかく小学校から帰ってくるのが早いのだ。 保育園のように遅くまで預かってはくれない。 放課後クラブや児童館なるものもあるのだが、それでも十七時まで。 更に、しっかり自我の芽生えている娘自身も『早く、帰りたい』と、それらを利用することには反抗する。 加えて、ただでさえPTAでは役員なるものも避けては通れないというのに、そちらの方でも役員があるというのだから、勘弁してほしいと願いたいばかりの状況だった。 「これでは満足な仕事なんか、出来ねぇよっ!!!」 ぜぃ、はぁ。 ――と、散々に日頃の鬱憤を零して、鼻息荒く俺は話を閉じた。 「お気持ち、お察しするところです」 畏まって頭を下げたのは、そのレンタルサービス会社から派遣されてきたママさん。 ママというには年若く、聞けば二十三歳になると彼女――向井さんは宣った。  向井さんは俺の話を聞きながら、申し出により俺が差し出したばかりのアルバムを確認するのに忙しい。 伏せた長い睫毛が忙しなく上下に動いて、アルバムを一覧していく。  その造形の整った顔立ちには、化粧をしているのかいないのか、男の俺では定かでないほどのナチュラルメイクのみで、年若いとはいえ、はっきりとした口調や物腰には信頼するに足る好感を抱いていた。 「当社が家事代行ではなく、レンタルママだとするには訳があります」 彼女は、閲覧しながらで失礼いたしますと、断りを入れて話し始めた。 「生前の奥様を模倣して、その雰囲気、環境に近い形でサービスを提供させていただきます」 その為の資料としてアルバムが必要なのだという。 そして、可能な限り妻との思い出をヒアリングさせてほしいと告げてきた。  俺は時折、アルバムを指さしながらその時の思い出を振り返る。  彼女はプロなのだろう。 聞き上手で、俺から妻の引き出しを開けては紐解いていった。    妻の死は、あまりにも呆気ないものであった。  思えば妻の死に現実感を抱く間も、妻との思い出に浸る間も無かった。 ただがむしゃらになって、暮らしを立てることに必死だったのだ。  俺は今、向井さんの申し出を機にして、妻を悼むことがようやく出来ていた。  その後は各部屋の物の置き場や、ある程度のルールや要望を伝えて回った。 「了解いたしました。至らぬ点や不具合が生じた場合はその都度に善処させていただきますので、明日からよろしくお願いいたします」 向井さんは、プロフェッショナルらしい綺麗なお辞儀で、その日の幕を閉じたのだった。
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