プロローグ・じじいとばばあの巻(その1)

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プロローグ・じじいとばばあの巻(その1)

 今は昔のことだった。  ここは吉備の国(いまの中国地方)の八部(岡山県総社市あたり)である。  ある山のふもとの村に、爺いと婆あが住んでおった。  新婚当時から仲がいいにもかかわらず、二人は子どもに恵まれなかった。  いまでも歳に似合わず夫婦生活は盛んだが、もうとうに婆あは上がっており、子どもを産むことが出来ない身体になっている。  見苦しいほど若作りの婆あは、歳を取った今でも十分美しく色っぽい。  爺いと並ぶと親子か、下手をすると祖父と孫娘にさえ見える。  村では若い男衆の夜のお供になっていたし、町へ出れば必ずナンパされる。  若い頃は近隣の村でも評判の美人で、毎晩のように夜這い男の影が絶えなかったほどである。  幼い頃から妙に色っぽい娘であった。  多い時には五人の男が同じ夜にかち合い、みなで一晩中交ぐわった事もあった。  二、三人などはごくごく当たり前である。  それが十五歳の時から、結婚する二十二歳まで毎晩続いた。  そんな中で、今の連れ添いである爺いと夫婦になったのは、ただ親類である本家の伯父から勧められたからに過ぎなかった。  十里四方の村々で、知らぬ者のない淫娘である姪の先々を心配した伯父が、真面目一方の男を選び夫婦にしたのである。  婆あとは正反対で、爺いはそれまで女を知らないむっつり助平であった。  いい歳の青年であるから、頭の中は女の妄想で一杯で毎晩夢精していた。  それでも堅物の爺いは、夜這いも掛けず町へ女遊びにも行ったこともなかった。  その反動で、嫁を貰ったとたんに貪るように婆あの身体を求めた。  婆あの方は手慣れたもので、爺いを逝かせる事など稚技のようなものだった。  近郷近在の老いも若きも関係なく、殆どの男衆と交ぐわった婆あではあったが、一旦嫁ぐとそれはそれは嫉妬深いことが分かった。  爺いが他の娘をチラッと見ただけで、身体中引っ搔いて腹を立てるあり様だった。  そんなだから、爺いは浮気をすることもなく毎晩婆あと閨を共にした。  実際婆あは美しく、素晴らしい身体の持ち主で、その上よく尽くす性格だったから、他の女に目移りする必要はまったくなかったのだ。  しかしいつになっても子宝には恵まれず、この歳にまでなっていた。  婆あの方はそれほど子どもに拘ってはいなかったが、爺いは若い頃から子どもが欲しく堪らないでいた。  だがついに婆あは子を産むことはなかった。  それでも爺いは諦め切れないらしく、村の鎮守さまに晴れた日も雨の降る日も、子が授かるようにと祈願していた。  都合のいい事に、その御神体は一対の巨大な〝摩羅(マラ)〟と〝女陰(ホト)〟であった。  道祖神と呼ばれる、夫婦和合のシンボルである。 「お爺さん、そんなことしたってわたしはもう上がってしまったんですから、子どもなど産まれやしませんよ。村の衆も笑っておるじゃありませんか、いい加減やめておくれなさい」  苦笑いしながら、婆あが爺いを諭す。  言葉遣いは年寄りだが、その声もあでやかな容姿もまるで老婆には見えない。 「そんなもん判らんじゃろ、お前は見た目は娘同然だから、いつ間違って腹が大きゅうなるか知れんじゃないか」 「毎日毎日そんなことばかりして、あたしゃもう恥かしくって堪りませんよ」  そんな冷たい婆あの言葉に、爺いは涙を流しながら大きな木製の男根をさすった。 「鎮守さま、どうか子をお授けください。お願い致します」  そんな爺いの思いに呼応するかのように、御神体は人知れず霊力を回復していた。  神とは、人から信じられて初めて力を持つ存在なのだ。  爺いの真剣さが、夫婦神の力を大きくさせていたのである。 〝この爺いの願い、なんとかして叶えてやりたいものだ〟 〝そうですね、わたしたちでなんとかしてあげましょう〟  対の神は何十年かぶりで会話を交わした。 「たわけたことを言いなさんな。わたしゃ今年で六十三歳じゃ、天と地が引っ繰り返ってもそんなことは起きやせん。この歳で腹が大きゅうなってでも見ろ、世間さまの笑い者じゃ」  婆あはとうとう呆れ果てて、性欲はあったもののその夜から寝床を別々にしてしまった。 「婆さんがそう言うつもりならば、わしにも考えがあるぞ」  腹と男根を立てた爺いは、ある一計を思いついた。
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