陽の差す檻

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 お父さん、お母さん。僕のことは母国で報道されていますか? 大人の行方不明だから、あまり取り沙汰されていないのではないでしょうか。  僕が、木崎さんに誘拐まがいのことをされてから、数か月が経ちました。今自分がどこにいるのか分かりません。ただ、窓の外には生気のない人や窓ガラスのない車の往来がたくさんあって、どこか退廃的な雰囲気を出しています。僕はこの街の中でも一等安全な場所にいますが、いざと言う時はおそらく危険にさらされるでしょう。  でも僕は幸せです。ここなら木崎さんを支えられる。あの人の人生を支え、僕の人生も支えてもらえるから。  ああ、ほら。起きてきた。のろのろふらふらと、自分の部屋から体を引きずるようにして、リビングへやってきた。寝起きで頭はボサボサだけど、ラフな白シャツにグレーのボトムスを着てよろよろとやってきた。 「おそようございます」 「ああ、はい……おはよう」  彼はまたのろのろとリビングから出ていった。僕は近くの戸棚からインスタントのカボチャスープ、そしてカップを取り出して、スープの用意をした。ついでにフライパンをIHコンロの上に設置した。  水の流れる音が聞こえる。パシャパシャ、と弾く音も続いて、彼の生活を感じた。  ふふ、とちょっと笑っちゃう。  まな板やポッドと並ぶように置かれたサイフォン、そしてその隣の小さな密閉タッパに詰められた粉末コーヒーを手に取る。粉末をビーカーの中へ、水をフラスコに入れて、火をつけたアルコールランプをその下に滑り込ませた。その間にフライパンへ油を入れて、満遍なく馴染ませる。卵をフライパンに割って入れると、油を弾く音がする。  電気ケトルのスイッチを入れてないことを思い出して、リビングテーブルの端に置かれたケトルに手を伸ばした。しかし、僕より先に細くて綺麗な指がケトルのスイッチを押した。  ラフな服に、彼の綺麗な顔はよく映えた。彼は澄ましているけれども、陽だまりを見つめるように穏やかな瞳だった。手を伸ばして僕を抱きしめ、背中を優しく叩く。暖かいもので心が満ちていくような感覚がした。 パチパチ、と油の音がする。振り返ると目玉焼きが順調に熱を帯びており、透明な白身が少しずつ色を持ち始めていた。僕は振り返ってフライパンに駆け寄る。ふ、と彼が小さく微笑んだのが聞こえた。 「えっと、トーストが冷蔵庫に入ってます。チンしてもらっていいですか」 「はい」  冷蔵庫を開く音がした。 「あなたの朝食は?」 「もう食べました。今十一時ですよ」 「ああ……すっかりそんな時間……」  フライパンに少量の水を加えて、蓋をした。それから、フラスコからロートに上ってきたお湯を、粉と馴染ませるようにヘラで優しく撹拌する。 「お腹すいたな……」  彼は、ケトルを眺めながらそう呟いた。 「ふふ、木崎さんって意外と可愛いですよね」 「そうですか?」 「はい。欲望に素直というか、何というか」 「素直、か……確かにそうかもしれないですね」 「ですよね」  最後に一度だけ混ぜてヘラを置き、アルコールランプに蓋をする。ロートのコーヒーは黄色の泡を立てながら、フラスコに落ちていく。フライパンの方へ目を向けると、目玉焼きは水に震えながらじっくりとその身を焦がしている。そろそろいいかな、と蓋に指を添えようとしたら、彼から手首を取られた。 「何ですか。目玉焼きが焦げますよ」 「さっき」  ——違和感。 「私を何と呼んだか覚えてますか」  その言葉は、有無を言わさぬ威圧感を孕んでいた。 「……名前、で」 「違うね」  彼の親指が僕の手の平に添えられ、柔らかい肉の部分を緩く押し込んだ。ひやりと背中に冷たいものが走った。慌てて彼の方を向き直る。彼は穏やかに、しかし厳しい瞳を僕に向けている。 「すみっ、すみません、ショウさん」 「もう一声」  冷ややかな声で、ぐ、と親指が深く押し込まれる。 「…………今日は、外出の予定が、ありましたが」 「うん」 「一日、家に、います」 「家の、誰の傍にいるのかな?」 「ショウさんです」  彼はニコッと笑って、僕の手をするりと解放した。 「手を止めてごめんね」  そう言って彼は僕の手首から肩まで、ゆっくり指を滑らせた。服の上からせりあがる皮膚の感触が、温かい指先が、恐怖をせりあげている。 「君の決断は賢明だ。良い子だね」  後ろから抱きしめられる。彼の声は蕩けそうなほど甘い。甘い、甘い、温かい、温かい、蕩けそうなほど。  ほっと胸をなで下ろした。もう怒ってないみたい。 「目玉焼きが爆発しそうだね」 「えっ」  彼はIHの火を落とした。パチパチ、と音を立てながら目玉焼きが震えている。 「焼きなおします」 「平気。あなたのものなら何でもおいしいから」  彼は僕から離れて食器棚へ向かい、僕にマグカップを渡した。それを受け取ると、彼は僕の頬を指でぷにと押した。驚く僕を見てクスクス笑い、フライパンの方へ向かう。 「……前から思ってたんですけど、よく言えますねそういうこと」 「本心から思ってるからね。僕は案外素直なんだよ」  名前を呼ばれる。振り向くと、ふに、と唇を合わせられる。 「キミに関しては特にね」  彼の綺麗な瞳には、僕の真っ赤な顔が映っていた。
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