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何かあったのかと、薄珂は本を放り捨てて居間へと駆け込んだ。すると立珂は満面の笑みを浮かべ、両手で紫色の何かを抱きしめていた。抱きしめているのは服ではなく、植物のようだった。
「びっくりした。どうしたんだ立珂」
「いいかおりなの!」
「香り?」
立珂が持っているのは細長い植物で、紫色の小さな花がたくさん付いている。立珂は紫の束にぼふっと顔を突っ込んでその香りを嗅いだ。くんくんと嗅ぐ姿は愛らしくて、伽耶はそれを愛でながら立珂を撫でている。
「気に入ったみたいだね」
「これ何?」
「薫衣草(くんいそう)よ。湖のあたりに咲いてるの。一束あげるから家に飾りなよ」
「有難う。立珂、もらったぞ」
「ありがとう! くんくん!」
それからしばらく立珂は薫衣草を抱きしめていた。しかし少しすれば心地良い香りのおかげかこと切れるように昼寝をし始めてしまう。数えきれない服と生地に埋もれていて、目覚めるまで薄珂は長老に本を読んでもらった。夕方になるとようやく立珂は目を覚まし、明日もまた来ると約束して帰宅した。
夜も更けて寝台に入ると、立珂は伽耶に貰った薫衣草の束を抱きしめたままだった。
「立珂。それあっちに置いておこう」
「やだ。持ってねたい」
「そこまで? よっぽど気に入ったんだな。じゃあ何かに包むか。布団汚れちゃうからな」
薄珂はもう着なくなった森から着て来た袍を引っ張り出し薫衣草を包んだ。立珂は嬉しそうにそれを抱きしめると、ようやくころんと横になった。それでもずっとくんくん嗅いでいる。寝る間も手放すのが惜しいなら明日も一日持っているだろうが、強く抱いているせいか薫衣草はもう元気がない。
「首から下げる袋作るか? 匂い袋にすればいつも持ってられるだろ」
「作る! 作る作る! 袍に合う色がいいな。共布もいいかな!」
「共布ってなんだ?」
「同じ生地! 服と同じ生地で作ればおそろいになるでしょ」
「ああ、なるほど。立珂はどんどん頭良くなるな。凄いな」
「んふふふ。薄珂のも作るね」
「お揃いだな」
「おそろいだよ!」
立珂はぐりぐりと薄珂に頬ずりをした。二人の身体の間から薫衣草の香りが溢れている。大好きな服と薫衣草、新たなお洒落に思いを馳せて立珂はにまにまと笑いながら眠りについた。
(今度咲いてるとこ見に行ってみるか)
立珂はぷうぷうと穏やかな寝息を立てている。それは今までと変わらないけれど、未来の可能性は立珂の中でどんどん大きくなっていた。
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