2人が本棚に入れています
本棚に追加
いつも優しい友人は久しく聞いていない声色で言う。
「もう絵は描かない。昔は好きでも今はそうじゃなくなったの。それだけよ。美術部に入りたいなら1人で入って。」
突き放すような言い方に酷くショックを受けた。聞いてくれると思ったから。いつものように「しょうがないな」と言って笑ってくれると思ったから。
「な、なんで…。」
「何よ。」
「なんで、そんなこと言うの…?嫌いになったなんで嘘だよ!なんで、描きたくないの?道具?場所?私にできることなら何でもするから!」
私が1番悲しかったのは、まるで自分の『好き』を否定するような言い方をしたから。あれほど自分の『好き』に口を出されるのが嫌な彼女が、誰よりも自分を信じていた彼女が、自分でそれを否定したからだ。
(そんなの、あなたじゃない…!)
友人の言葉を飲み込めなくて、縋るように言う。彼女の意志を尊重していない、自分勝手な発言だと分かっていた。
(それでも、それでも…!あなたはそんな簡単に否定する人じゃない!)
「…いい加減にしてよ。今までそんなこと言わなかった癖に!勝手なことばっかり言わないで!描きたいなら1人で描いて!私を巻き込まないで!」
声を荒らげる友人は本気で怒っているようだった。今まで何度も睨まれたことはあるけど、今は体の芯が凍りつくような目だった。
何も言い返せない私に友人は、まるで自分を宥めるように言った。
「あんたは気づいていないのかもしれないけどさ。絵って実力や才能があってもそれだけじゃ描けないのよ。どれだけ才能があっても努力し続けられる素質があっても環境がなければスタートすらできないの。場所や道具の話じゃないわ。学生の身分である以上生まれ持った環境が全てを左右する。」
友人は淡々と、でもどこか悲しそうだった。
「描いてもいいって言われない限り、全ては何の意味も為さないのよ。みんなあんたと同じように期待されて、応援されてるなんて思わないで…!」
何も言い返せなかった。私の言動が友人を傷つけていたのではないかと考える。いつ頃だったか、彼女が絵を描くことを辞めたのは。褒められる度に誇らしそうに笑う友人が羨ましくて、私もまた努力することができた。そして私が賞でも取れば、自分のことのように喜んでくれる友人がとても好きだったのだ。
受験勉強を始めた頃だろうか。友人は試験を理由に絵を描かなくなった。仕方のないと思っていたが、試験が終わっても、入学が決まっても、高校生活に慣れ始めても、一向に筆を取る気配はなかった。急かす必要はないと思い、今まで何も言わなかったのだ。いつか、「また描きたくなった。一緒に美術部に入ろう。」そう言ってくれる日を無意識に待っていた。そんな確証はどこにもなかったというのに。
友人はたくさんの感情が入り交じった瞳で私を睨む。私は立ちすくむことしか出来なかった。
「…ごめん、大きな声出して…。私、今日はもう帰る。」
ハッとしたような顔を一瞬した友人は机に広げたノートやら教科書やらをリュックに詰め込み、足早に教室を出ようとした。
「待ってよ!」
友人は私の声に足を止める。あと1歩で廊下に出るところだった。
「絵なんて、最初から描かなきゃよかったのよ。」
「な、なんでそんなこと!」
「あの日!!」
友人の言ったことを慌てて否定しようとすれば、彼女は言葉を被せる。
「コンクールなんて、出さなきゃよかったのよ。落書きで終わらせておけば、そうしたら、否定されることも…期待することもなかった!!」
友人は怒鳴るように言い放つ。その時だった。
――チリン
(え、?)
どこかで聞いた音が響く。
――チリン
「ま、まって。」
視界が陽炎に飲み込まれたように揺らぐ。
(まって、まだ、私はあなたに伝えていない…!)
「大っ嫌いよ。絵を描くことも、あなたのことも。」
「―ごめんね。」
――チリン
空間が歪む。友人は泣きそうな顔を私から背け、遠くへ歩いていく。その場に座り込んだ私は、海の中に沈むように意識を手放す。頭の中では、絶えず鈴の音と友人の言葉が反響していた。
最初のコメントを投稿しよう!