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「こんにちはー。」
もちろん返事は帰ってこない。もう一度大きなため息をつき、「お邪魔しますー。」と中へ入る。なんの変哲もないただの民家だ。玄関の正面にあった階段の脇を通り過ぎ、長い廊下をずんずん進む。突き当たりの淡い光がすりガラスから滲む大きめの扉を遠慮なく開ければ視界全体が光に包まれる。大きな南窓から惜しげも無く注がれた陽光が照らすのは教室ほどあるのではないかと言うほど広い部屋。そしてあちこちに置かれている数え切れないほどのキャンバスたち。ちょうど部屋の真ん中あたりが開け、大きなイーゼルに私の身長などゆうに超えたキャンバスが立てかけられ、その正面に1人の女性が座っている。長い髪を無造作に流し、決して良いとはいえない姿勢で椅子に座ってる彼女は、今私に気づいたとでと言うように咥えていたたばこを持ち直し顔を向ける。病的なまでに痩せて目元には隈もあるのに不思議と綺麗だと思える人だった。
「やぁ、いらっしゃい。」
「アトリエではたばこ吸わないでって言ったじゃないですか。先生。」
「いいじゃないか、たまには。」
そう微笑み返すその人は、部活動に所属していない私の絵の先生である。彼女はフリーランスで画家をしていて、個展や展覧会を開いたりしている人だ。まだ20代と年若いが、既に両手では数え切れない数の表彰をうけている。よく分からないが1部の人達には有名らしい。何故そんな人が先生をしてくれているのかと言えば、彼女の絵に一目惚れした私が頼み込んだら、アトリエの軽い掃除と、なにか食料を持ってきてくれるのなら教えてあげると言われあっさり聞いてくれたからである。曰く、頑張る若人が好きなのだと実年齢より渋いことも言っていた。表情は薄いし物静かな人だが、その実子供好きでとてもいい人である。
「買ってきましたよ。エナドリと水と食べ物いくつか。あ、あと母からおにぎり持たされたのでこれも。」
「お、ありがたい。美味しいんだよなぁ、キミのお母さんの握ったおにぎり。」
ガサッといくつかのビニール袋をカバンから取り出し差し出す。子供のように表情を綻ばせ中身を確認する先生に私は呆れながら聞く。
「前回固形物食べたのいつですか?」
「…みっか…いや、4日前かな…」
「ほぉーう。」
「な、なんだよ。いいじゃないか。別に死んでる訳じゃないんだから。水分はちゃんと摂ってるよ…。」
「そういってぶっ倒れたのどこのどなたでしたっけ?」
「あれは…。悪かったよ。それに最近はちゃんと寝てるし、体調はすこぶるいい。問題ないよ。」
バツの悪そうな顔をする先生は明らかに前回あった時より顔色が悪い。彼女の言う最近とはいつなのか、水分とはエナジードリンクのみのことを言っているのではないのか、問いただしたいことは増えていくばかりだった。
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