1.少女

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「だからおねぇちゃんはまいごになったの?おとななのに?」  あまり一気に飲めないのか、小さなカップだというのにまだ半分ほど残っているジュースを眺めながら少女は聞き返す。 (そうか。この年頃の子は私くらいだと大人に見えるのか。) 「ま、まぁ。お姉ちゃんまだ子供だから。」  なんでこんな子に言い訳してるんだろうと思いながらも答えた。未成年だし、間違ってはいない。 「…。」  少女は私の答えを聞いて、少し俯いたように視線を落とす。気のせいだろうか。どこかつまらなそうに、寂しそうに見えた。 「どうかしたの?」  今までずっとにこにこしてた少女から急に表情がなくなるものだから気になった。 「…ないしょだよ?」  だれにもいったことないの、とぽつりぽつりと話し出した。 「わたしね、はやくおとなになりたいの。だって、おとなってひとりぼっちでいたり、いやなこといわれてもへいきでしょ?だからおねぇちゃんにはやくおとなになるほうほうをきこうっておもったの。」  そう呟いた少女の目はどこか潤んでいるようだった。 「ひとりぼっち?嫌なこと…?」  聞いていて気になった言葉を思わず聞き返す。今まで見てきた少女の言動は沢山の愛と幸せに包まれて育てられた子供そのもののようだったから。少女が零した言葉とは随分かけ離れた印象を少女がしていたからだった。ほんの少しの動揺が隠せない私に目を向けることもなく少女は「そう。」と返した。 「お父さんやお母さんは?ここでは1人でもお家じゃ一緒でしょ?」 「いっしょだけど…。わたしねいもうとがいるの。いもうとはまだちいさくて、おとうさんもおかあさんもめがはなせないの。でもそれはしかたのないことだし、こまらせたくないからいつもここで…ひとりで…。」  俯いたままの少女の声はだんだんか細くなっていき、ついには最後まで聞き取れなかった。 「…そっか。」  こういう時、なんて言葉をかければいいのだろう。目の前のこの子は仕方がないと言ってたくさんの我儘を我慢してきたのだろうか。甘え盛りの時期に誰にも我儘が言えないからこんな所まで1人で来ているのだろうか。この子の両親はこの子がここにいることを知っているのだろうか。  頭の中が疑問でいっぱいになる。少しの間気まづい沈黙が流れた後、少女がぱっと顔をあげた。 「でもね、ここきたらぜんぶへっちゃらになるんだよ!ここはさびしくないの!」  そう言ってまたさっきの笑顔で言う。どこか、無理しているように見えるのは気のせいだろうか。 「そうだ!おねぇちゃん、ごほんよんで!」  今思いついたのか、そんなことを言い出した少女は椅子を飛び降り、背の低い本棚から1冊の絵本を持ってきた。その本を私に手渡し、クッションと小さいローテーブル、大きなぬいぐるみのある所へ行き手招いた。「こっちこっち!」とでも言うように自らの横の床にクッションを置いてはぽんぽんと叩いた。 (お茶会の次は読み聞かせか。)  ついさっきまで泣きそうな表情を一変させ、彼女はわくわくしたようにこっちを見ている。まぁ、子供は笑っているのが1番いい。そう思い、もやもやしたものを落ち着かせる。そして、少女の隣に座った。  絵本の内容は、はっきり言ってしまえば在り来りなもの。まだ幼い男の子が夢の中で沢山の友達をつくり、悪い夢を見せる悪魔をやっつける話だ。でも子供心には充分楽しく思えるのだろう。にこにこきらきらした表情を絶やすことやく話を聞いていた。 「―そうして男の子は幸せな夢を見ながらぐっすり眠ったのでした。めでたし。」 「わぁ!」  パチパチと手を叩いて少女は楽しかったと言った。 「わたしもこのこみたいにおともだち、いっぱいつくれるかなぁ…。」  少女は考え込むように呟く。 「あなたはいい子だから、これからきっとできるよ。」  今度はすんなり出てきた言葉を伝える。こんなにも明るくていい子なんだから、大きくなってもっとたくさんの人と出会う時、たくさんの友達ができると本心から思えた。  少女は驚いたような顔をしてこちらを見た。  黒水晶のようなキラキラとした瞳と目が合う。 「…ほんと…?」  なぜ、そんな顔で聞き返すのだろう。まるで、そんなことを言われるなんてちっとも思っていなかったとでも言うように。  初めて、少女の本心が見えた気がした。 「うん、本当だよ。」  あまりにも不安で泣きそうな目をするものだから、少女の手を握り、もう一度しっかりと伝えた。  少女の頬に瞳ごと落としてしまうのではというほど大きな涙の雫が伝う。少女は泣いていた。 「ほ、ほんとに、おともだち、できる?…わたし、ひとりじゃ…ない?」  少女の手を握る私の腕に涙が落ちる。小さな体が震えていることに気づき、思わず抱きしめた。なぜそう思ったのか分からないが、このままでは消えてしまうと思ったのだ。  そして初めて気付く。少女は独りだった。一緒に遊ぶ相手も、本当の願いを打ち明ける相手もいなかった。子供の夢を詰め込んだおもちゃ箱のようなこの空間にただ独りで本心を押し殺していたんだ。こんなにも幼い子が、涙さえ流せずに。 「あなたは独りじゃない。友達だって…きっと、きっとたくさんできるから…!」  この空間は、少女の孤独を紛らわすものだった。たくさんのぬいぐるみがいたのは、たくさんの友達が欲しかったから。部屋がこんなにも広いのは、誤魔化しても誤魔化しきれないほど寂しかったから。この空間は、彼女の『心』そのものだった。  腕の中で泣きじゃくる小さな体に、私はこれ以上言葉をかける事ができなかった。 (ど、どうすれば泣き止んでくれるの…?)  抱きしめることしかできない自分が歯がゆくて、必死に頭を動かした。 ―チリン (え、)  風鈴のような音が空間全体に響く。 ―チリン (ま、また…。) 「そっかぁ…。わたし、ひとりじゃないんだね…。」  少女は抱きしめられながら顔をあげ、初めて見る本心からの笑顔をみせる。 「ありがとう。おねぇちゃん。」 「え、」 ―チリン  空間が光に滲んでいく。部屋がだんだん白んでいっているのに気づいたとき、少女はもう腕の中にいなかった。不思議な鈴の音だけが木霊し、真っ白の世界に私1人だけになる。 (な、なにが…!) 「待って!私まだあなたに…!」  絞り出した声は反響し消えていく。状況を理解する前に意識が遠のいた。少女の最後の笑顔だけがいつまでも頭の中にあった。
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