屋上

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 龍司は手に紅い数珠を持ったまま人混みの中を足早に進んでいく。 託也は迷子にならないようにその後ろを必死に追いかけた。 渋谷センター街から井の頭通りへ出てとある雑居ビルの中へ入り、エレベーターで最上階まで行く。 エレベーターを降りて階段を昇り、屋上に出ると黒い霧を纏った何かが柵の向こう側にいた。 下を見ると人の足らしきものが確認できたので、生きてはいないが元が人間であることは間違いなさそうだ。 『……しぬ………しねばいい…楽に…』 小さくブツブツと呟く声は男であったり女であったり、しわがれていたり、子供のように幼かったりと様々な声色で、統一性がない。 「こりゃ大物だな。“集合体”か」 龍司は右手に紅い数珠を持ち直し、左手には【(バク)】と行書体で大きく書かれた札を持って、託也は黒い数珠をポケットから出す。 龍司が“集合体”と呼ぶ黒い物体は二人の存在に気付き、ゆっくりと身体を反転させた。 途端に黒い物体を包んでいた黒い霧が晴れ、その姿が露わになる。 『楽、ニ……死んだら……一緒に…勇気出して…イコ…』 元は人の形と思われるが、顔にいくつもの目がある頭を囲うようにたくさんの小さな人間の頭が生えており、若い女や年老いた男など年齢も性別もバラバラだ。 肩や腕にも小さな頭が生えており、手首から掌にかけてはたくさんの口で埋め尽くされている。 その姿を見ただけで「ぐっ…」と口元を押さえて気持ち悪そうにする託也を庇うように龍司が前に出る。 「託也、下がってろ。お前は人一倍”敏感“な体質なんだからな」 「…うん…」 託也は幼い頃から霊の力の影響を受けやすい体質であるため、龍司が力を籠めた黒い数珠を肌身離さず持っている。 影響を受けやすいと言っても相手の想いにつられるのではなく、その“存在に対しての反応”が人一倍敏感である。 一般人で霊が憑いていると肩が重い、頭が重いという反応を示すものが、託也のような敏感な体質だと霊が自分の間合いに入ってこようとするだけで体調が悪くなり、酷い場合は吐き出してしまう。 それは相手の力や存在が大きければ大きいほどひどくなるもので、龍司と会うまでは病弱な子供として見られていた。 「さってと。随分とたくさんいんなぁ。一体どれだけの“思念”が集まってんだ?」 龍司が言う“思念”とはいわゆる“残留思念”のことで、何か思いを抱えたまま死んだ人間はそれが未練となり、成仏できずに彷徨う形になってしまう。 その“思念”が負の感情であればあるほど同じ思いの霊たちが引き寄せられるように集まり、集合体として強力な悪霊になる。 『うるさい…行コウ……きっと、楽に…寂しくナイ』 集合体は様々な声で龍司に話しかけてくるが、もちろん彼は耳を貸す気はない。 【(バク)】の札を胸の前で構えて「(ワリ)ィな」と口角を上げて、集合体を見る。 「俺、死ぬなって言われてるから一緒に行けねぇわ」 龍司が札を投げると集合体はビルから飛び上がり、浮遊して距離をとるが、彼の狙いは本体ではなく、柵だった。 札が貼り付くと柵から無数の鎖が飛び出し、集合体に巻き付き、身動きが取れなくなる。 ただの物体ならすり抜けられるが、鎖はこの世のものではないため、不可能だった。 抵抗も出来ず、引っ張られ、ビルに戻された集合体は全ての目が見開いた状態で大声を上げる。 『離せ!』『ふざけるな!』『シンデ…』『お前ニ何が分カル!』『一緒に来い』『シネ…しね死ねッ!』『一緒ニ楽ニナロウ…』 彼らの声に龍司は口角を下げて再び「(ワリ)ィな」と言った。 「俺にはアンタらを救うことは出来ねぇ。神様でも仏様でもねぇからな。アンタらみんな生きていた時に色々辛いことがあって、生きることが苦しくなって自殺を選んだんだろ?けど他の人を巻き込んじゃいけねぇよ。自分の中では正しいと思うことを他人に(なす)り付けちゃならねぇ」 集合体はただ黙って龍司の話を聞いている。 「もしかしたらその相手はまだどこかで頑張ろうとしてたかもしれねぇ。それなのに、それを潰すようなことをしちゃ相手もアンタらも浮かばれないんだぜ?」 龍司は【(セン)】の札を取り出し、集合体の後ろに放った。 紅い数珠を鳴らして現れた黒い鉄の扉を開くと鎖に包まれたままの集合体を中へ誘導する。 「また来世があったら、今度は幸せになってくれ」 集合体が送り込まれると龍司は再び紅い数珠を鳴らして扉を消した。 「ふい~一件落着だな」と数珠を袖の中に仕舞いながら託也のところへ戻る。 「平気か?」 「ん…何とか」 託也はようやく楽に呼吸が出来、大きく深呼吸をして自分を落ち着かせる。 龍司は「ゆっくり呼吸しろ」と彼の背中を擦った。 「後は店の方に戻ってさっき死んだ奴らを成仏させねぇとな。五、六人はいたか?最後にたくさん巻き込みやがって」 淡々と話している龍司だが、心の内では怒っていることを託也は気付いていた。 人はそれぞれ、生きている内に辛く苦しい壁にぶつかることがある。 壁にぶつかった際に、状況を解釈し、その先の答えを出すには個人差というものがある。 今を乗り越えればきっと明るい未来が待っていると考える人間と、もう自分はこれ以上頑張れないと諦めてしまう人間がいるだろう。 最初はネガティブでも徐々に明るい答えに辿り着く者もいれば、そのまま負の感情に飲み込まれて絶望し、自ら死を選んでしまう者もいる。 事情は分からなくないが、龍司はそれでも自殺するという選択が嫌いだった。 人間はそれぞれ必要だからこそ生まれてきて、その理由が分からなくとも生まれるだけでその存在に意味があると龍司は考えている。 大きなことを成し遂げなくていい。 日常の中のほんの些細な事でいい。 存在しているだけで十分なのだ。 だから生きていて欲しい。 龍司の持っている願いの一つだった。 ずっと一緒にいる託也はそれを分かっている。 「落ち着いたか?」 「うん、ありがとう。行こうか」 託也の呼吸が整うと二人は事件が起きた雑居ビルの前まで戻った。 捜査中のため、ビルの中には入れないので下から見上げた状態で先に浮遊霊となった魂を成仏させる。 龍司が白い数珠で魂の数だけ鳴らし、その隣で託也が【天】と書かれた札を用意して龍司に手渡した。 龍司が祈りを込めると札が白く光り、いくつかの半透明な球体へと姿を変える。 球体はふわりふわりとゆっくり舞い上がると浮遊している魂を優しく包み込み、上へ連れて行く。 託也がホッとしていると「ちょっと」と聞き覚えのある声が横から入った。 「御宅ら、何してんの?」 刑事の椰波田(やはた)が疑わしい目でこちらを睨み付けており、龍司は「あ、ど~もすんません」と着ているトレンチコートの内ポケットから名刺入れを出して一枚椰波田に差し出す。 「一応こうゆうもんでして」 「黯藤(あんどう)心霊事務所…ほお。御宅が噂の幽霊事務所でしたか」 椰波田がなるほどと納得した表情で龍司を見た。 龍司が「よくご存じで?」と返すと彼は「ああ、いや。すいませんね」と警察手帳に名刺を仕舞う。 「新宿署の森口(もりぐち)さんと結構長い付き合いでしてね。彼からよく話を聞いてました」 「へえ、森口さんと。先輩後輩とかですか?」 「まあ、そのようなもんです。我々も何か不可思議な事件が起きたら頼るとしましょう」 椰波田が去ろうとすると龍司が「すんません」と声をかける。 「何か?」 「そっちのビルにいる霊を祓いたいんですけど、入っちゃダメ?」 龍司が「お願いします」と手を合わせると椰波田は少し考えてから「外階段からならいいですよ」と背を向けて去って行った。 龍司は「ありがとうございま~す」と言って託也と共に鉄骨がむき出しの外付け階段を上って屋上まで行く。 託也は少し息が上がるくらいで済んだが、龍司は膝に手をついて激しい呼吸を繰り返している。 「義兄さん。体力落ちた?」 「体力とかっつーより、八階分だぞ…?普通にキツイって…」 「寝てばかりだから運動不足もあると思う。普段からもう少し運動しときなよ」 龍司は「う~…あと五年若けりゃ…」と白い数珠を構え、屋上に残ってしまった地縛霊を成仏させる。 無事、魂が上へ上ると託也は「あ、そうだ」と何かを思い出した。 「父さん。会いたがってたよ。顔くらい見せたら」 龍司は嫌そうな顔をして「行ったら最後だろ」と口をとんがらせる。 「そんないきなり縛ったりしないって。父さんにとったら義兄さんも息子みたいなもんなんだし、シンプルに会いたいんだと思うけど?」 託也が子供のように笑って言えば、龍司はむず痒そうな顔をして「考えとく…」とぶっきら棒に言って踵を返した。 階段を下りて行く龍司の後を追いながら託也は「じゃあ連絡しとくね」とからかう。 龍司が「やッ、めろ…」と反抗すれば託也は再び子供のように笑った。
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