クローゼット

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 新大久保二丁目。 多くの飲み屋で賑わっている商店街の中にあるアパート――柳河ハイツの前はKEEP OUTと書かれた黄色い規制テープで人が出入りしないように囲まれ、十数人の警察官や鑑識官が周囲をウロウロしている。 近隣住民や飲食店の店員が眉をひそめて遠くからその光景を見ていた。 「はい、ちょっとごめんよ」 龍司と託也は人混みをかき分けて規制テープの内側に入り、依頼主である森口を探す。 「おい、黯藤(あんどう)」 アパートの二階から降りてきた小太りな中年の男性が右手を上げて「こっちだ」と龍司を呼び、再び階段を昇っていく。 二人は彼の後を追い、アパートの二階へ上がった。 中年の男性――森口(もりぐち)は「この部屋だ」と右手の親指で二〇二号室を指差す。 龍司はその部屋を見た瞬間に目を細めた。 「急に呼び出してすまんな。ここの大家がさっさとどうにかして欲しいとよ」 「なぁに、近いからどうってことないぜ」 龍司は爽やかな笑みを浮かべて答えたが、地味に長い付き合いをしている森口には通じないらしく、「どうせ託也に起こしてもらったんだろ」とジト目で見てくる。 図星の龍司は自分の首に手を回して「あー…」と何も言い返せない。 森口は二〇二号室のドアを開けると養生されているのでそのまま土足で部屋の中へ入った。 続けて龍司と託也も入り、ドアを閉めると託也はドアノブに黒い数珠をぶら下げてドアに札を貼り付ける。 札には焦げ茶色の墨で上部に大きく【(フウ)】と行書体で書かれており、その下にも同じく行書体でたくさんの文字が書かれていた。 部屋の中はユニットバスが付いた六畳一間のワンルームで一人暮らし向けの広さだ。 「被害者は氏代広信(うじしろひろのぶ)、三十三歳。独身で既婚歴はなし。恵比寿の広告代理店勤務で、勤務態度は至って真面目。遺体が発見される今日までの三日は無断での欠勤だったそうだ。連絡もとれず、体調でも崩したのかと心配した同僚が見舞いに来たらしいがインターホンを鳴らしてもドアを叩いても無反応。鍵もかかっていて部屋に灯りが点いている様子もないため無人かとも思われたが、念のため大家に連絡して鍵を開けてもらったところ“干乾びた”状態の彼を発見したそうだ」 森口の話を聞いた龍司は「じゃあ死後三日だな」と部屋を歩き回る。 託也は自分の手首にも黒い数珠をぶら下げ、ポケットからもう一つの黒い数珠を取り出し、それを森口に手渡した。 森口もそれを手首に通すと「頼んだ」と龍司に言う。 「じゃあクローゼット開けるぜ~」 龍司はキャラメル色のクローゼットを開けてやれやれといった様子で溜息をついた。 クローゼットの中では丹色(にいろ)の長い髪をした女が座り込んでブツブツと小さな声で何か呟いている。 龍司に興味がないのか気付いていないのか顔を上げようとはせず、虚ろな瞳でどこか一点を集中して見ていた。 「おい、アンタ」 龍司が声をかけると女は初めて反応を示し、彼を見上げる。 『寂しかったの』 女はそう言うと立ち上がり、龍司にしがみ付いて『私は悪くない…』と泣き出す。 涙を流しながら龍司の頬に触れ、目を見開いて笑って見せた。 『寂しかったから傍にいてって言ったらみんなそうしてくれた。ここに来る人はみんな優しいの…一人で大変だったねって、それで』 「そして寄り添ってくれた全員の精気を吸い取ったのか」 龍司が冷たくそう言い放つと女は怯み、後退る。 龍司は懐から【(セン)】と行書体で書かれたの札を取り出し、自分の胸の前で構えた。 「大家にはいろいろ話を聞く必要がありそうだぜ。森口さんよ」 龍司はそう言いながら女に向かって札を投げる。 咄嗟にそれを避けた女だったが、クローゼットの壁に札が触れるとそこに大きな黒い鉄の扉が現れ、ゴオッと強い風が巻き起こり、女は身を屈めて引っ張られないように構えた。 「アンタを解放してやるよ」 龍司が懐から出した紅い数珠をジャリ…と鳴らすと鉄の扉が重苦しい音を立ててゆっくりと開かれる。 「まあ行先は地獄だけどな」 『地獄…何で…』 女は巻き起こる風に耐えながら龍司を睨み付けてた。 『私は殺されたのに…!被害者なのよ!なのに何で私が悪いのよ!私はただあの男が来るのを待っていただけ!』 龍司は乱暴に女の顎を掴み、冷たい目で「そりゃあ大変だったな」と口元だけ笑う。 「けどアンタ、目的の男以外に一体何人殺した?」 龍司にそう言われた女は目を見開いて驚き、ただ呆然とした。 『違う…だって…みんな……可哀想だねって…』 「可哀想ねぇ…殺されてただ悲しんでんならそうだろうけど、もう何人も殺してんるんじゃ、可哀想でもなんでもねぇ」 龍司は意地の悪い笑みを浮かべて女の髪を引っ掴む。 「アンタも立派な人殺しだ」 パッと龍司が手を離すと女は『違う…違う…!違う!』と叫びながら強い風に吸い寄せられ、扉の中に引き込まれていった。 龍司がもう一度紅い数珠を鳴らすと扉が閉まり、鎖と錠がかけられ、すう…と扉が消える。 龍司の後ろで託也と共にやりとりを見ていた森口は「で?どうする?」と彼に訊いた。 龍司は紅い数珠を懐に仕舞いながら、溜息をついてクローゼットの前にしゃがみ込む。 「大家を呼んでくれ。あと託也、花束買ってきてくれ」 託也は「はい」と返事をすると玄関ドアに貼った札を剥がし、ドアノブの黒い数珠も回収して花束を買いに出て行った。 森口は携帯端末で部下に大家を呼ぶように連絡し、「三十分はかかると思うぞ」と龍司に言って壁に寄りかかる。 「それくらい構わねぇよ。それより森口さんの方がこの後大変だと思うぜ」 龍司はコートのポケットから煙草を取り出し、お気に入りのジッポライターで火を点け、部屋の窓を開け放った。  
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