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ドS剣士、見参
「どうした? 誰かに用があるのなら呼ぶよ」
明るく澄んだ声だった。
千代がふり向くと、白地の絣の着物に袴を穿き、中央を剃りあげて後ろ髪を一つに結わえた二十歳過ぎの男が立っていた。
「え……っと、……その、お、大阪から出てきたんですけど、なんか道に迷ったようで、わけがわからずに、ついここで休んでました」
言い訳をした後、千代はてへっ、と照れ笑いをした。
「名前は何というのですか」
「千代です」
「そうか、おい、悠太郎、俺はこれから見回りの任務があるから、おまえ、お千代さんの道案内をして差し上げろ」
男は、隣で突っ立ってる、十代後半とおぼしき男に命令した。
「えーっ、おれがですか」
「そうだよ、おまえ、ひまじゃないか」
「ひまじゃないですよ、ちぇっ、しかたないな」
「頼んだぞ、悠太郎」
そう言って、男は屯所の中に入って行った。
涼やかな目をしていた。
今のお方、どこかで見たような……。
千代が首を傾げていると、悠太郎が仏頂面で言い放つ。
「おまえは運がいいな、おれはそんなにいつもひまってわけじゃないんだよ。今日はたまたま非番なんだからな」
「はい、すみません、この時代のこと、ようわからへんので」
「はぁ?」
「いえ、なんでもありません」
悠太郎は千代の先を大股でさっさと歩き、大通りまで先導した。
賑わいのある通りに出ると、悠太郎は「行き先はどこだ?」と訊いたが、大阪の家まで帰るにはどうしたらいいものか、わからなかった。
帰ったとしても、そこには当然家もなければ母もいないだろう。そう思うと千代は途方にくれた。
「決まってないようだな。そこに安い宿がある。今晩はそこに泊めればいい」
悠太郎は面倒くさそうにそう言って、踵を返した。
お金はあっても通用しない、どうしよう。
千代は宿の前を素通りし、さらに歩いて鴨川の河原まできた。
今晩はここで野宿するしかないかな……。
夕日を見ていたら心細くなって泣きそうになった。朝から何も食べていない。それでよけいに哀しくなったのだ。
「金平糖はいらんかえー」
天秤を担いだ物売りのおじいさんの声がした。
五色のかわいい金平糖が木箱に盛られているのをじっと見る千代。あまりに見ているので、たまらず「お腹へってるんか?」とおじいさんが訊いた。
こくん、と頷くと、箱ごと差し出して「お食べ」と言う。
「でも、お金が……」
「ええから、ほれ」
「でもいいんですか?」
「売れ残りやさかい、かまへん」
もぐもぐと無言で美味しそうに食べる千代の顔をおじいさんは珍獣でも見るように眺めている。
「美味しい!」
「そうか? あんた、ようわかってるな」
「おなか減ってるからってだけじゃなくて、めっちゃ、美味しいですね、これ」
「うれしいこと、ゆうてくれるやないか」
「おお、弥助やないか」
「島村はん」
先ほどのドS剣士が立っていた。
「あ、さっきの。どうしてここに? まさかわたしのこと、心配してあとをつけて来てくれたんですか?」
「馬鹿な、おれはそんなひまじゃないって言ってるだろ」
そうは言うが、少し照れくささそうにまばたきをした。
「すみません、調子に乗りました」
「ところで弥助、おまえの店の下働き、やめたばっかりだと言ってたが、あとがまは見つかったのか?」
「いえ、お八重が結婚してやめてもうてから、困ってますねん」
間髪入れずに千代が話に入ってきた。
「あの……、そのお仕事にわたしはどうですか? 料理もできます。お菓子を作ったこともあります。何でもお手伝いしますから、わたしを雇ってください!」
この機会を逃してはなるものか、と賢明なるアピールを試みる千代に、おじいさんはあっさりと頷いた。
「そないか、ほな、いっぺん試しにやってみるか?」
「ホントですか? ありがとうございます! 悠太郎さんもありがとうございます!」
悠太郎はまたまた面倒くさそうに、チッと舌打ちをした。
「おれは何も関係ないだろ」
川面に夕焼けがきらきらと反射して眩しかった。お母さんは今夜の晩ごはん、どうしているんだろう。
交通事故に遭って以来、左半身不随で不自由な奈津子のことを心配したが、ともあれ今夜ひと晩、泊まる所ができたと千代は心から安堵した。
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