一文菓子「さくらや」

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一文菓子「さくらや」

 店主の弥助と妻のおこうとで切り盛りする「さくらや」は裏通りに面した目立たない場所にある。下働きのお八重が結婚して店を出て行ってからは、てんてこ舞いの毎日だった。 店のすぐ近くの長屋に弥助が千代を連れて帰り、千代はそこでひと晩を過ごした。翌朝早く起きて、おこうの指示で井戸から水を汲み、かまどにまきをくべた。 「これ、なんですか」  千代が平鍋に入っている物を差しておこうに訊いた。 「芥子の実や。ここに、砂糖を水で溶かしたものをちょっとづつかけていくねん。この作業を十日ばかり続けて、きれいな金平糖の形になるんや」 「そんなに作業に日数をかけてるなんて、知りませんでした」 「火加減と鍋の傾斜の角度が大事やねん」 「はぁ~、手が込んでんねんから、美味しいはずですね」 「これはわたしがやるさかい、あんたは饅頭に入れる餡を丸めてくれるか」 「へぇ、まかせてください」  調理台に並んだ小さく切り分けられた餡を手のひらでころがして、ひとつ一つ、くるくると丸めていく。 「あんさん、なかなか手早いやないか」 「へぇ、料理は日頃からやり慣れてますねん」  おこうの手伝いが終わり、お菓子を担いで売りに行く「棒手(ぼて)振り」に弥助と共に出かけることになった。天秤の要領で担いで歩くのは、弥助には慣れたものだが、一度やってみたらとてもじゃないが、歩けないほどよろよろとなってしまい、早々に弥助に替わるはめになった。 屯所近くに来たら、どこからともなく悠太郎が現れた。 「うす皮饅頭六つくれ」 「へぇ。甘いもの、お好きなんですか」 「近藤先生に頼まれたんだ。甘いもんにめっぽう弱くてな」 「見かけによりませんね」 ふふっ、とつい笑ってしまった。 「おまえがどうして近藤先生を知っているんだ?」 「えっ……、それは、たまたまちょっとお見かけして」  写真で見たとは言えずにごまかした。 「ところで昨日ご一緒だった方はどなたですか? どこかで見たような気がするんですが、思い出せません」 「あれはおれの直属の上司、沖田さんだよ」 「沖田さんって、あ、あの、泣く子も黙る天才剣士の沖田総司ですか?」  はっはっはっはっ、と悠太郎は破顔した。 「よく知ってるな。さてはおぬし、新選組愛好者だな?」 「愛好者? あ、ファンのことか……。へ、へえ、実はそうですねん、バレてしまいましたね」 「まさか、新選組見たさに大阪から出てきたんじゃないだろな」 「それが……、そんな感じで」 「はぁ? それで迷子になったとか、馬鹿か、おまえは」  呆れはてる悠太郎に、「そうですねん」と千代は平然としていた。  それにしても、あのお方が総司さま……。  美目麗しく、涼やかなお顔立ちで、想像していたよりも百倍もイケボでイケメンだった……。  妄想だけで身悶えする千代を、悠太郎は異邦人でも見るかのように訝し気にしている。 「なんか、思った以上に気持ち悪いやつだな」  この際、ドSなのは許すとして、悠太郎を介して沖田に接触することを試みなければ、と千代はうす皮饅頭の餡を丸めながら思案した。 「これこれお千代、かまどの火が消えそうやから、もっと木をくべておくれ」 「あ、はい! すみません。つい考えごとをしてました」  近藤がうす皮饅頭をすっかり気に入ったからと、五十個の注文が入り、朝早くからさくらやは大忙しだった。  あれ以来、近藤のみならず新選組の隊士たちは何かというとさくらやを贔屓にするようになった。沖田もちょくちょく菓子を買っているらしいのだが、千代が一緒の時に限ってやって来ない。近頃は任務が忙しそうで、悠太郎とも出会えない日が多かった。  祇園祭の鐘の音が遠くに聞えてくる。 「宵山も近いな。ほな、帰ろか」  弥助は軽くなった天秤を担いだ。  今日も総司さまに会えなかった。一体いつになったら会えるのだろうか。このまま会えないで現代に戻るとしたら……。  会いたい気持ちと、元の時代に戻って、母と会いたい気持ちが表裏一体となって千代の胸を締めつける。  そしてまた、今はただ、何も考えずにさくらやでのお手伝いに精を出すだけだ、という結論に達するのだった。  坊城通りまで来たとき、「おーい」と声がする。澄んだ高い声だ。遠くで手を上げている隊士が見えた。隊服を着た若い男は一目散に走って来る。 千代の心臓は、どっくんどっくんと波打ち、もう限界突破しそうだ。 「金平糖、あるか?」  荒い息を整えて沖田は訊いた。 「へぇ、ちょうど一つだけ、残ってます」  平静を装って答える。  沖田は白い歯を見せて笑う。 その圧倒的なキラキラスマイルに千代はめまいがしそうだった。 悠太郎から、沖田は金平糖が好きだとあらかじめ情報を得ていたので、弥助に内緒でこっそり一袋残しておいたのだ。  よほど待ちかねていたと見えて、沖田は袋を受けとると、速攻で金平糖を三粒ほど、ぽいと口に放り込んだ。 カリカリッと音をさせて甘い香りがふんわりと漂う。 人斬りと名高いこのお方も、二十一歳の若者なんだ。ふっと、千代は力が抜け、不思議な面持ちになるのだった。 「ところでお千代さん、仕事には慣れましたか?」 「へえ、すっかり慣れて、菓子職人になりたくなってきました」 「ハハハ……、女子(おなご)の職人は珍しいが、修行次第でできますよ、きっと」 「えっ」 「何ごとも鍛錬です」 「そうですね、わたし飽きっぽいので、続くかな」 「お菓子を作るのは、好きですか?」 「へぇ! 作ってるときは何もかも忘れて、没頭できます」 「好きが一番の早道です」 「がんばります!」  悠太郎の呼ぶ声で、沖田は急いで隊に戻って行った。 金平糖が少しでも激務を癒してくれたのならいいな、と千代は願う。  翌朝、かまどの火加減を見ている時に、ふいに「好きが一番です」と言った沖田の声が蘇る。 そうか、沖田はただ好きな剣の道を全うするためだけに、日々鍛錬しているに違いないのだ。仕事に忠実になればなるほど、人斬りなどと言われてしまうだけなのかもしれなかった。
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