ヤングケアラーと呼ぶなかれ

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ヤングケアラーと呼ぶなかれ

 目が覚めた千代は机の上の書きかけのイラストをぼおっと眺めていた。  夢だったのだろうか。それにしても、やけに詳細に覚えている。  イラストは多摩川の河原を駆けている若き総司。まだ宗次郎と呼ばれていた頃の沖田総司だ。夢の中の沖田よりもずっとあどけなさが残っている。  けど変だ。こんなに美男子に書いた覚えがない。これは本当に自分が書いたイラストなのだろうか。  母の叫び声で居間との仕切りのカーテンを開けた。 「おかあさん、どうしたの」 「ちょっと大根を切ってて、指切っちゃった」 「血、出てるやん」 押さえる左手に力が入らないから、上手く切れないのだ。  包帯を巻いてテーピングした。 「もう、無理せんといて、わたしがやるから」 「ごめんね、千代」 「ええて、この頃、夜もあんまり寝れてないんやろ? お昼寝しとき」  居間のベッドの上で奈津子は一日の大半を過ごす。娘に少しでも迷惑をかけないように、と家事をすることもあったが、すぐに具合が悪くなったり、怪我をしてしまうので、近頃はもうあまり余計なことはしなくなった。無理が利かない身体なのだ。 千代は慣れないうちは家事を負担に感じたが、今はもうルーティンができた。洗濯物は夜のうちに干し、2DKの狭い部屋の掃除は汚れたらする程度だ。 朝はパンと牛乳、昼は残りものを詰めたお弁当、とちょっと手抜き。ちゃんとした料理を作るのは晩ごはんだけでせいいっぱいだ。かぼちゃや芋の煮物はいっぺんにたくさん作って作り置きにする。豚肉とキャベツ、人参、もやしの炒め物はソース味、しょうゆ味、塩味に、好みで百円スパイスを足して変化をつける。煮魚や焼き魚の主菜に汁物やサラダ、これだけで充分メニューは賄える。 ハンバーグや唐揚げなど、ちょっと手がかかる料理は日曜日に作ることにしている。買いものはもっぱらネットスーパーを利用していた。大変と言えば大変だったが、慣れとは恐ろしいものだ。今の生活を受け入れるしか手立てはないのだった。 〈漫画部、辞めたって本当?〉  同じ漫画部で同級生の真矢からスマホにメッセージが入った。 〈うん、家のことが忙しいからね〉 〈残念やわ。合作の漫画は続けるやろ?〉 〈うーん、続けたいけど…〉 〈時間、千代に合わせるから、夜会おう〉  坂本竜馬ファンの真矢と総司ファンの千代は「幕末」というカテゴリーで結ばれていた。 お話を考えるのが得意な真矢と絵を描くのが好きな千代。一緒に幕末を舞台にした漫画を描きたいね、と語り合ったことはあったが、具体的に進んではいなかった。  正直気が重かったが、真矢に押し切られる形で、晩ごはんの後、ファーストフード店で待ち合わせをした。  千代は真矢が書いてきたストーリーの下書きを読んでいる。 クールで天才剣士の沖田がばっさばっさと人を斬っていくシーンで目が点になり、ページを繰る手が止まった。  真矢が書いてきたのは、沖田総司と坂本竜馬が一人の女性を巡って三角関係になる話。 タイトルは「幕末トライアングルラブ」。沖田はクールキャラ、竜馬はおバカキャラに設定されていた。 「ちょっとお決まりな感じかな」 「たしかにー。ほな、沖田はドSキャラでどうやろ?」 「それは……、わるくないけど、イメージと違うなぁ」 「うーん……」  色々考えてみても、煮詰まってしまって答えは出なかった。  チェリーパイを二人で分けて、今はサイトに投稿するイラストを描いている話をした。 「ええやん、がんばり。私も漫画仕上げたら、雑誌に投稿してみるし。ほな、また次会うまでに、こっちのほうも考えとくわ。千代も考えといてね」  真矢と話して、知らず知らずに溜まっていた重荷が少し軽くなった気がした。  だが、次がいつなのか、また会えるのかはわからなかった。 ふいに、夢の中で、無邪気に金平糖を食べている沖田の笑顔が脳裏に浮かんだ。  数学の授業から取り残されてずいぶん経つ。ついつい妄想に費やしていた千代だが、今日は通販サイトで届いたばかりの新選組の本を読んでいた。 真剣に読み過ぎて、先生から名前を呼ばれたときに、目がうるうるしていたのはヤバかった。 休み時間もお昼休みも費やして、ついに読みきった。  今まで知っていたようで、詳しくは知らなかった新選組の成り立ちや事件、出来事がわかった。 それはつまり、あの夢の続きを知ってしまったことにもなる。 あの後まもなくして池田屋騒動が起こり、そして沖田は……。  千代は想像しただけで、激しい動悸に襲われた。  あれは本当に夢だったのだろうか。  確かめるために、また壬生寺に来てみた。元々ここに来ると百六十年前にタイムスリップした気分になるのだ。  境内をぶらぶらする。  二、三歳の男の子が母親に買ってもらったばかりの竹細工の風車を持って、よたよたと走っている。その側で子ども好きな沖田が目を細めて眺めている。そんな空気がこの寺には漂っているのだ。  だから――。  あれは夢なのか妄想なのか区別がつきにくかった。まさかわたしが元治元年にタイムスリップするはずがない……。  壬生塚の前に来て、両手を合わせた。  総司さま……。 あなたは京で幸せでしたか? あなたは今、どこにいますか? あなたに会いたい、もう一度あなたに会いたいです。 ぐらっと地面が揺れた。 また地震? いや、これは夢? それとも妄想? 目を開けるとなぜか懐かしい風景が広がっていた。 ああ、これは現実なのだ。わたしはまた幕末に戻ってきた。 会える、総司さまに、悠太郎さんに、弥助さん、おこうさんにも!
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