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幕末トライアングルラブ
「丸三日も、いったいおまえはどこに行ってたんや」
「その間の記憶がないんです。ごめんなさい。おこうさん、わたしには放浪癖があるみたいなんです」
先ほどからずっとおこうの説教が続いている。無理もない。何も言わずに下働きのお千代がいきなり消えてしまったのだ。
「若いおなごが一人で放浪とは物騒なことやな」
「そやけど、なにごともなくてよかったなお千代。よかったよかった」
弥助は胸をなでおろした。
弥助もおこうも心配で夜も眠れなかったと言う。
千代は京都の父母を前に恐縮するばかりだ。
「弥助さん、今日の棒手振り、付いていっていいですか?」
「もちろんや、休んでた分も、張り切って売ってや」
「へえ、がんばります」、と千代は両手でファイティングポーズを取った。
「うす皮饅頭、どうどすかー」
弥助が天秤を担ぐ側で千代が声を出してついていく。
けっこうな売れ行きで、壬生に着いた頃には半分以上売れていた。
「おい、お千代」
聞き慣れた声がして振り向くと、悠太郎が仏頂面で立っている。
「長い間顏見せないで、どこにとんずらしてたんだ」
「えっ、とんずら? たった三日やないですか」
千代がいなくても弥助が売りに出てたというのに、おかしなことを言う、とつい反発した。
「沖田さんから頼まれて、どうしても、『さくらや』のじゃないと駄目だと言うんで、金平糖を探していたんだ」
「えらいすみません、忙しゅうて、つい、品薄になってましてん」
「ほら、やっぱりお千代、おまえのせいじゃないか」
「す、すみません……」
先ほど反発したことをすぐさま反省し、消え入りそうな声で千代は謝った。
「沖田さん、お身体大丈夫ですか?」
「なんだ、とんずらしていても情報は耳に入っていたか。さすが新選組愛好者だな。池田屋の一件以来、床に臥されているが、具合のいいときは寺を散歩したりしてる」
「そうですか、心配ですね」
「ああ、新選組は有名になったとはいえ、沖田さんがいないと話にならないからね」
「金平糖、どうぞ。お大事に、とお伝えください。それからこれ……」
「なんだ?」
小花柄の布袋の中には、ハランの実を砕いたものが入っている。
肺結核に効く薬草をネットで検索して購入したものだ。
着物の袂に入れておいたら、運よく千代と一緒にタイムスリップして持ってこれた。
本当はもっとよく効く薬を手に入れたかったが、簡単なことではない。
沖田の苦しみが少しでも薄れるように、と千代なりに案じてのことだった。
「お茶のように煎じて飲めばいい、と知り合いのお医者さまに聞きました」
「おまえ、馬鹿だと思ってたが、人は見かけによらないものだな」
「あのねー、悠太郎さん、ちょっとお口が過ぎますよ」
「すまん、すまん、おれが責任を持って沖田さんに飲ませるから、任しておけ。ありがとうな」
千代はこくん、と素直に頷いた。
それから幾日経っただろうか、壬生寺で休憩をしていたら沖田がやってきた。
「お千代さん、薬をありがとう」
「総司さま……。いえ、おかげんはいかがですか?」
「ああ、お千代さんのおかげで、もうすっかりよくなったよ」
「そんな、わたしなんて、なんにも……」
「金平糖は……、売り切れかー」
「いえ、あります! はい、ここに」
「あっ……」
着物の袂から、手品のように、金平糖が入った紙袋を出したので、沖田は目を丸くして千代を見た。
「いつ、沖田さんが来られてもいいように、別に取っているのです」
「……そうか、どれ」
沖田が緑色、白色、桃色の金平糖の粒を口に掘り込むと、甘い香りに包まれた。千代の目からほろりと涙がこぼれた。
「ん? お千代さん、どうしたの?」
「なんでもあらしまへん……、なんでも」
「ん?」
沖田はお千代の髪に付いた綿ぼこりを取ってやった。
「うっ……(ぎゃあああああ)」
真っ赤になって固まる千代を見てにこにこしている沖田。
そんな二人の様子を、先ほどから悠太郎が物陰から見ていた。
「なんだ、この胸の高鳴りは」
沖田を見つめる千代の目がハート型になっているのを悠太郎は感づいていた。
「もしかしたら、おれはお千代を……」
知らず知らずに千代に惹かれていた悠太郎だったが、千代はまだ、そのことに気づいてはいなかった。
菓子の下ごしらえを終え、弥助が棒手振りに出かけたあと、千代は四条大橋の橋の上から川面をぼんやり眺めていた。
「今ごろ、おかあさんはどうしてるんやろか。わたしのこと、心配してるやろなあ」
父母は千代が幼い頃に離婚し、物心ついてからはずっと母一人子一人の暮らしだった。貧しくても母は優しく、千代とはまるで姉妹のように何でも話せる仲だった。
母を想い、望郷の念が強く湧き出て、涙ぐんでいた時だった。
「お千代、はやまるな!」
悠太郎の声に振り向くのと同時に、欄干に掛けていた手を掴まれた。
「ええっ?」
気づいたら橋の上で倒れ、悠太郎が覆いかぶさっていた。
何が何だかわからない。
しばらくして、悠太郎が安堵の声を上げた。
「ああ、助かってよかった。はやまるなよ、お千代」
「……もしかして、わたしが飛び込もうとしてたと思ったんですか?」
「違うのか?」
「違いますよ、もう!」
「なんだ、違ったか」
早とちりな悠太郎と顔を見合わせて、思わず笑い合った。
そこにまさかの沖田が遭遇し、倒れた千代と抱き合っているかのような悠太郎を目撃した。
「おまえら二人……」
沖田に気づいた千代はすぐさま悠太郎から離れた。
「総司さま……、こ、これは誤解です」
「いや、みなまで言わなくていいよ。そうか二人がそういう仲とは気づかなかった。大丈夫、誰にも言わないから」
「いえ、だから、これは違うんです」
「悠太郎、頑張れ。おれは応援するぞ」
「は、はいっ」
「ええっ? ちょ、ちょっと悠太郎さん、否定してくださいよ」
だが沖田には全く通じず、「お千代さん、照れなくていいから」と笑い飛ばすばかりだ。
「いえ、だーかーらー、総司さま、これは誤解なんですったらー」
沖田に励まされてすっかりその気になり、千代の肩に手を回す悠太郎の手を振り払い、泣きたい気持ちの千代だった。
沖田は沖田で、その頃、噂の医者の娘なおと懇意にしていることを千代が知ったのは数日後のこと。沖田となおが壬生寺の境内で仲睦まじく話している所を見てしまったのだ。
「これが世に言う沖田総司の純愛か」と感慨深かった。
利発そうで京言葉ながらハキハキと話すなおには、千代もすぐに好感を持った。
とはいえ、沖田たちとWデートしよう、と悠太郎が持ちかけてきたときは、「なんでやねん」と訝しんだ。どうやら悠太郎は沖田の恋を応援しよう、と目論んでいるようだ。
鴨川の河原はデートをするカップルで現代と同じように賑わっていた。客を目当てに、自然とたくさんの物売りが集まっている。
団子を買い食いしてそぞろ歩くのも始めてなら、もちろんデートも、中学生の千代には初めての経験だ。
親し気に肩を寄せてくる悠太郎をすり抜けると、前を歩く沖田となおが手を繋ぐ瞬間を見てしまった。
何気なく自然に二人の手と手は結ばれた。
「あああ、これはキュンだ。キュン死でございます……」
「何を悶えているんだ? お千代はほんとにおもしろいな」
「だって、あのお二人、ほんとにお似合いなんだもの。こんなん、応援せんわけにいかんわ」
「だよなー。沖田さんていっつも冗談言ってるかと思うと、任務には冷徹だったり、女には優しいし、あれでモテないわけ、ないんだよな」
「そんなにモテるんですか?」
「……まあ、子どもには大人気だね」
「……わかるー」
日が暮れかけて、なおは診療の手伝いがあるからと帰っていった。
「ほな、わたしも明日のお菓子の下ごしらえがあるんで、そろそろ」
「我々も帰るとするかな」
沖田と悠太郎の後をついて帰っていた途中、小雨が降り出した。
それまで大股で元気そうに歩いていた沖田だったが、仏光寺通りの路地に入った所で、突然咳きこんだ。
「沖田さん、大丈夫ですか」
「ああ、大丈夫だ」
そう言うが、咳は止まらず、座り込んで咳きこむ沖田の背中を千代がさすった。
少し咳が治まり、「少し休んで帰るから、先に帰ってくれ」と悠太郎に言う。
「わたしがみてますから」
「そうか、じゃあ、お千代頼んだよ」
「へえ」
「沖田さん、これ飲んでみてください」
竹筒の水筒を差し出して水を飲ませる。
ごくん、と水を飲む沖田の背中をさする千代。
悠太郎は少し歩いてから、二人を振り返った。
千代は甲斐甲斐しく、沖田の背中をいつまでもさすっていた。
「新選組ファン、って言ってたが、沖田総司ファン……っか」
悠太郎は誰にともなく、ぽつりと呟いた。
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