12人が本棚に入れています
本棚に追加
夢ふたつ
「さくらや」の店先には千代が半紙に筆で書いた、イラスト入りのお品書きが貼られ、風になびいている。うす皮饅頭、草団子、豆板、金平糖、薄荷糖……。
「まだ放浪の旅に出たままなんやろか」
「今度は長い旅みたいやな」
千代が去って十日が経つ。おこうも忙しさに慣れてきたが、千代はどこでどうしているのか、時折り心配になることがある。弥助とて同じことだったが、なるべく考えないようにしていた。
「お腹をすかせてるのとちがいますやろか」
「その内、さくらやの金平糖が食べたなったら、帰ってくるやろ」
「それはそうどすけど」
「あんまり気に病んでも仕方ない。また前のように、ひょっこり帰ってくるやろ」
「そうでしたら、よろしおすのやけどねえ」
気を紛らすように、おこうは明日の下準備に、弥助はそろばんをはじいて帳簿を付け始めた。
* * *
悠太郎はお千代が姿を消してから、珍しくため息が増えた。
「やはり、あいつはどこか遠くから来て、遠くへ帰ってしまったのか……」
壬生寺でぼんやりと物思いにふけっていると、子どもたちの笑い声が聞えてくる。
子どもたちにせがまれて竹とんぼに興じる沖田を見ていると、悠太郎は切なさに胸が締めつけられる。沖田は近藤の説得もあり、お互いのために、となおに別れを告げたばかりだ。 不治の病であることは、沖田も薄々感じていたが、なおとの別れはどれほど辛いことであったか、屈託なく子どもたちを相手にしている沖田の心中を思うと、悠太郎は心が痛んだ。
「沖田さんはいいですね、いつもモテモテで」
「ああ、うらやましいだろ」
「そうでもないですけどね」
「悠太郎はお千代さんがいなくなって、ずいぶんふさぎこんでいるじゃないか」
「えっ、そんなことはありませんよ、元気ですよ」
「そうかな?」
そう言って沖田は手ぬぐいで汗を拭った。
「お身体のほうはいかがですか」
「ああ、今日はかなり体調がいいよ」
「それはよかったです」
「美味しかったなあ、お千代さんの菓子」
ふいに沖田が思いだしたように言った。
「えっ?」
「おれは気取りのない菓子が好きなんだけど、あの桔梗のお菓子は、見た目も味も絶品だったね」
「そうでしたね。まったくどこに行ってしまったんだか。けど、またふらっと戻ってきますよ、きっと」
自分に言い聞かせるように悠太郎が頷き、「ああ、そう願っているよ」と沖田も微笑み返した。
* * *
千代は子どもの頃から絵を描くことが大好きだった。
チラシの裏をホッチキスで閉じてノート代わりに、花や人物の絵を描いていた。いつか漫画家になりたい、と密かに夢を描いていた。それがもうひとつ、夢が増えた。
和菓子屋を開くことだ。あの日、千代が作った桔梗の練り切りを食べたときの沖田のキラースマイルが忘れられない。
翌日の地震によって、図らずも現代に戻ってしまったが、沖田に誓った夢を実現するために何をすればよいのか、ずっと考えていた。
「千代、何を考えているの?」
「えっ? ああ、ごめん、なんだかぼおっとしてた」
「今度こそ、もうどこにも行かないでね」
「う、うん……、行かないよ。あ、おかあさん、ごはんできたよ」
今日の献立は玉子を白身と黄身にわけて泡立て、温めた出汁に流し入れて蒸した「玉子ふわふわ」だ。
「うん、口当たりがよくて美味しいねぇ」と奈津子はにっこりした。
「でしょう?」
新選組の料理人が作っていたのを見よう見真似で作ってみた。
当時、玉子は滋養強壮に良いとされ、高価だったため、病人のお見舞いにも用いられた。沖田も食したに違いない、と思うと千代はまたきりりと胸が疼くのだ。
晩ごはんの後片づけを済ませ、真矢と約束していたファミレスに向かう。
今日はお互いのアイデアを突き合わせる日だ。
まずキャラ設定。
竜馬のお馬鹿キャラは外せない、と真矢が主張したので沖田の番だ。
「総司さまは、子どもにはめっちゃモテるけど、女性と話すのは苦手な天然キャラにしたいな」
「うん、わかった。じゃあ、ドS要素は竜馬につけるよ」
ドSは絶対入れたいようだ。
「タイトルの『幕末トライアングルラブ』はそのままで、タイムスリップした女子との三角関係ってのはどう?」
「いいねー、それにしよう」
「漫画はわたしが描くから、真矢はネームをお願いね」
「オーケー、それはもう役割分担だからね」
こうして「幕末トライアングルラブ」はできあがり、投稿サイトの公募に応募することにした。
「徹夜して仕上げたんだから、いい結果だといいな」
「千代とわたしのヲタ心が詰まった作品になったから、駄目でも上等だよ」
「うん、そうだね。あとは神頼み。神さま、仏さま、弁天さま!」
「なに、弁天さまって?」
「芸術の神さまだよ」
「そっか、お願い、弁天さまー!」
二人は揃って両手を合わせ、弁天さまのフィギュアに頭を下げた。
漫画を応募してからは、母と二人の日常が戻ってきた。
千代は毎日の三時のおやつを買わずに手作りすることにした。うす皮饅頭、金平糖も、一から一人で作ってみたが、まだまだうまく作ることはできない。日々練習だ。
ただ紫色の練り切りだけは以前作ったことがあるとはいえ、星のようにかわいくできあがったのが、ことの他うれしい。
桔梗の練り切りを和紙の小箱に入れ、風呂敷で包み、思わず口の端が緩んだ。
「千代、行こか」
パーカーを羽織り、帽子を被った奈津子が声をかけた。
リハビリの成果で奈津子も杖をついて、休み休みなら遠出ができるまで、体力も回復した。
沖田の月命日に奈津子もついて行く、と言ったときは、思わず千代にファイティングポーズが出た。
ボランティアの付き添いを頼もうと言ったが、奈津子は千代と二人で行くことを望んだ。数年ぶりの気持ちだけ小旅行だった。
「やっと着いたわね。ここが千代の憧れの場所なんやね」
「大丈夫? ちょっと休もうね」
「さすがに少し疲れたわ」
初めて母と訪れる壬生寺。囲石に腰を降ろしてペットボトルのお茶を飲み、ひと息いれる。
「おかあさん、わたしね」
「うん?」
「うううん、なんでもない」
タイムスリップのことを言いたくてたまらなかったが、やはり今日も言えなかった。
壬生塚に桔梗の菓子を供えて、奈津子と境内を一巡した。そのとき千代は初めて新選組隊士の墓碑の中に「島村悠太郎」の名があることに気づいた。
目を閉じて耳をすませば、青い風の気配を感じた。
境内には十数人の隊士の姿があり、先頭に沖田、最後尾に悠太郎がいる。
総司さま、あなたは好きなことを全うされ、幸せな人生を送られたのですね。
千代はそう確信した。
もうわたし、あそこに戻ることはないのかなーー。
「千代?」
奈津子の呼びかけに、ハッと目を開ける。
誰もいない境内に鳩が二羽、舞い降りていた。
〈了〉
最初のコメントを投稿しよう!