夢ふたつ

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夢ふたつ

 「さくらや」の店先には千代が半紙に筆で書いた、イラスト入りのお品書きが貼られ、風になびいている。うす皮饅頭、草団子、豆板、金平糖、薄荷糖……。 「まだ放浪の旅に出たままなんやろか」 「今度は長い旅みたいやな」  千代が去って十日が経つ。おこうも忙しさに慣れてきたが、千代はどこでどうしているのか、時折り心配になることがある。弥助とて同じことだったが、なるべく考えないようにしていた。 「お腹をすかせてるのとちがいますやろか」 「その内、さくらやの金平糖が食べたなったら、帰ってくるやろ」 「それはそうどすけど」 「あんまり気に病んでも仕方ない。また前のように、ひょっこり帰ってくるやろ」 「そうでしたら、よろしおすのやけどねえ」  気を紛らすように、おこうは明日の下準備に、弥助はそろばんをはじいて帳簿を付け始めた。  *  *   *  悠太郎はお千代が姿を消してから、珍しくため息が増えた。 「やはり、あいつはどこか遠くから来て、遠くへ帰ってしまったのか……」  壬生寺でぼんやりと物思いにふけっていると、子どもたちの笑い声が聞えてくる。 子どもたちにせがまれて竹とんぼに興じる沖田を見ていると、悠太郎は切なさに胸が締めつけられる。沖田は近藤の説得もあり、お互いのために、となおに別れを告げたばかりだ。 不治の病であることは、沖田も薄々感じていたが、なおとの別れはどれほど辛いことであったか、屈託なく子どもたちを相手にしている沖田の心中を思うと、悠太郎は心が痛んだ。 「沖田さんはいいですね、いつもモテモテで」 「ああ、うらやましいだろ」 「そうでもないですけどね」 「悠太郎はお千代さんがいなくなって、ずいぶんふさぎこんでいるじゃないか」 「えっ、そんなことはありませんよ、元気ですよ」 「そうかな?」  そう言って沖田は手ぬぐいで汗を拭った。 「お身体のほうはいかがですか」 「ああ、今日はかなり体調がいいよ」 「それはよかったです」 「美味しかったなあ、お千代さんの菓子」  ふいに沖田が思いだしたように言った。 「えっ?」 「おれは気取りのない菓子が好きなんだけど、あの桔梗のお菓子は、見た目も味も絶品だったね」 「そうでしたね。まったくどこに行ってしまったんだか。けど、またふらっと戻ってきますよ、きっと」  自分に言い聞かせるように悠太郎が頷き、「ああ、そう願っているよ」と沖田も微笑み返した。  *  *   *  千代は子どもの頃から絵を描くことが大好きだった。  チラシの裏をホッチキスで閉じてノート代わりに、花や人物の絵を描いていた。いつか漫画家になりたい、と密かに夢を描いていた。それがもうひとつ、夢が増えた。  和菓子屋を開くことだ。あの日、千代が作った桔梗の練り切りを食べたときの沖田のキラースマイルが忘れられない。 翌日の地震によって、図らずも現代に戻ってしまったが、沖田に誓った夢を実現するために何をすればよいのか、ずっと考えていた。 「千代、何を考えているの?」 「えっ? ああ、ごめん、なんだかぼおっとしてた」 「今度こそ、もうどこにも行かないでね」 「う、うん……、行かないよ。あ、おかあさん、ごはんできたよ」  今日の献立は玉子を白身と黄身にわけて泡立て、温めた出汁に流し入れて蒸した「玉子ふわふわ」だ。 「うん、口当たりがよくて美味しいねぇ」と奈津子はにっこりした。 「でしょう?」  新選組の料理人が作っていたのを見よう見真似で作ってみた。 当時、玉子は滋養強壮に良いとされ、高価だったため、病人のお見舞いにも用いられた。沖田も食したに違いない、と思うと千代はまたきりりと胸が疼くのだ。  晩ごはんの後片づけを済ませ、真矢と約束していたファミレスに向かう。  今日はお互いのアイデアを突き合わせる日だ。  まずキャラ設定。 竜馬のお馬鹿キャラは外せない、と真矢が主張したので沖田の番だ。 「総司さまは、子どもにはめっちゃモテるけど、女性と話すのは苦手な天然キャラにしたいな」 「うん、わかった。じゃあ、ドS要素は竜馬につけるよ」  ドSは絶対入れたいようだ。 「タイトルの『幕末トライアングルラブ』はそのままで、タイムスリップした女子との三角関係ってのはどう?」 「いいねー、それにしよう」 「漫画はわたしが描くから、真矢はネームをお願いね」 「オーケー、それはもう役割分担だからね」  こうして「幕末トライアングルラブ」はできあがり、投稿サイトの公募に応募することにした。 「徹夜して仕上げたんだから、いい結果だといいな」 「千代とわたしのヲタ心が詰まった作品になったから、駄目でも上等だよ」 「うん、そうだね。あとは神頼み。神さま、仏さま、弁天さま!」 「なに、弁天さまって?」 「芸術の神さまだよ」 「そっか、お願い、弁天さまー!」  二人は揃って両手を合わせ、弁天さまのフィギュアに頭を下げた。  漫画を応募してからは、母と二人の日常が戻ってきた。  千代は毎日の三時のおやつを買わずに手作りすることにした。うす皮饅頭、金平糖も、一から一人で作ってみたが、まだまだうまく作ることはできない。日々練習だ。  ただ紫色の練り切りだけは以前作ったことがあるとはいえ、星のようにかわいくできあがったのが、ことの他うれしい。  桔梗の練り切りを和紙の小箱に入れ、風呂敷で包み、思わず口の端が緩んだ。 「千代、行こか」  パーカーを羽織り、帽子を被った奈津子が声をかけた。  リハビリの成果で奈津子も杖をついて、休み休みなら遠出ができるまで、体力も回復した。  沖田の月命日に奈津子もついて行く、と言ったときは、思わず千代にファイティングポーズが出た。  ボランティアの付き添いを頼もうと言ったが、奈津子は千代と二人で行くことを望んだ。数年ぶりの気持ちだけ小旅行だった。 「やっと着いたわね。ここが千代の憧れの場所なんやね」 「大丈夫? ちょっと休もうね」 「さすがに少し疲れたわ」  初めて母と訪れる壬生寺。囲石に腰を降ろしてペットボトルのお茶を飲み、ひと息いれる。 「おかあさん、わたしね」 「うん?」 「うううん、なんでもない」  タイムスリップのことを言いたくてたまらなかったが、やはり今日も言えなかった。  壬生塚に桔梗の菓子を供えて、奈津子と境内を一巡した。そのとき千代は初めて新選組隊士の墓碑の中に「島村悠太郎」の名があることに気づいた。  目を閉じて耳をすませば、青い風の気配を感じた。  境内には十数人の隊士の姿があり、先頭に沖田、最後尾に悠太郎がいる。  総司さま、あなたは好きなことを全うされ、幸せな人生を送られたのですね。  千代はそう確信した。  もうわたし、あそこに戻ることはないのかなーー。 「千代?」  奈津子の呼びかけに、ハッと目を開ける。  誰もいない境内に鳩が二羽、舞い降りていた。                                               〈了〉   
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