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千葉の海
「どこに行くって? お父さん」
「千葉の館山にある沖ノ島海水浴場。館山ってね、房総半島の先っちょの内側。ひっくり返ったペンギンの頭みたいなとこ。くちばしが相模湾を向いてるの」
汐里はつないだ手を子どもみたいに振りながら歩いた。恥ずかしかったけど、誰もいなかったから我慢した。
「島なの?」
「沖にある島と陸続きの砂浜になってて、で、両側が海になってて、磯遊びもできて、サンゴ礁もあるらしい。そんでね、目の前に富士山が大きく見えるんだよ。すんごいおっきいんだから」
おっきい、という言葉と一緒に、僕の腕も引っぱられて上がった。
「汐里は行ったことがあるの?」
「翔吾も行ったんだよ。あたしは覚えてるけど翔吾は忘れたかもね、ちっちゃかったから」
汐里はその先に富士山が見えるみたいに、くるくるとよく動く目を細めたままちょっと黙った。見上げる先に汐里の短い髪が風に吹かれて、頬の産毛が青空を背にぼんやりと浮かんだ。きれいだったんだなと思う。
でもやっぱり手は暑苦しかった。歩くたびリズムを刻むようにギュギュっと握られるつないだ手を、汐里は家に着くまでずっと離さなかった。
「灼けたサンタンの肌にぃ〜胸がジンジンとひぃびくぅ」
お父さんは僕が知らない歌を口ずさみながら、ビーチパラソルの下であぐらをかいて身体を揺らした。お父さんのお腹はどんどん大きくなってくる。ぜったいビールの飲み過ぎだ。
湘南とかお台場しか記憶にない僕にとっては、千葉の海は広かった。ビキニというらしいフリフリの水着を着たお母さんが、僕にはちょっと恥ずかしかった。いつもは友だちとプールに行ってしまう汐里の、紺色のスクール水着に短パンを穿いた姿も久しぶりだった。
汐里と僕は浮き輪を着けて遊んだ。子どもじゃないんだからと文句を言ったけど、海を舐めちゃダメだと、お父さんが怖い顔をした。
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