恋の予感

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 アリスは沈んだ気分で寝台に横たわり、シミひとつない天井を見つめていた。 「はあ……」  その額の真ん中には大きな真っ白のガーゼ。  つい先ほど、家族とピクニックに行った先で派手にすっ転び、額から地面に着地した結果である。頭を打ったので心配だと久々の団欒を切り上げられ、念のため寝ていなさいと自室に押し込まれたのだ。  転んだ拍子になぜ手が出なかった。  運動音痴極まる醜態、さらに家族に気を遣わせた自分に、アリスは情けなくなった。  さらに悲しいのは、明日の夜会を断らなければならなくなったことである。  婚約者であるヘンリと一緒に出席するはずであったが、まさかこの怪我では参加できない。  まるで覚醒した第三の眼を隠すかの如く立派なガーゼが額に貼られているのである。滑稽なことこの上ない。家族から断りの連絡が行っているはずだ。 「ああ、自分がやだ……」  ヘンリはどう思うだろう。自分の将来の妻が体幹の弱い、どんくさい女であることを。  今のところ彼の前で醜態を晒したことはない。だが、一緒に暮らし始めたらそうはいかないはずだ。  ヘンリは非常に現実主義な男である。  政略結婚である自分たちをビジネスパートナーと位置付け、初めて会ったアリスにこう言った。 『人には相性があるから愛情深い夫婦にはなれないかもしれないが、家族になることは出来る。僕たちはもう子どもではないから、よりよい関係を作れるように協力しよう』  アリスもそう思う。恋愛にはならなくても、結婚してうまくいく夫婦は、いる。  だから二人の間に恋はない。  ヘンリとアリスは必要以上に深い話はしないし、互いに詮索しない。エスコートされる際に触れることはあるけれども、それ以上の接触はない。  彼は自分を一個人として尊重してくれていることをアリスは感じていた。  そして、そんな彼を尊敬している。中には婚約者を自分の所有物としてぞんざいに扱ったり、女という性としてしか見ない令息がいることを知っているからだ。  一方、もう少しヘンリの内面を知りたいという寂しい気持ちがあるのも事実である。  将来家族になるのだから、いずれは悩みを相談したり、どうでもいい話だってしてみたい。聞いてみたい。  今は互いに丁寧なやり取りをしているけれども、もっと気楽に喋ってみたい。  アリス自身は、彼のことをビジネス婚約者、いや、友人以上には想っていた。  だから、明日の夜会だって楽しみにしていたのに。  アリスがまた大きくため息をつくと、部屋の外から人の声がした。  それが今考えていた人の聞きなれた声だったので、驚いて心臓が跳ねる。  まさか、見舞いに来てくれたのだろうか。アリスは慌てて布団を顎まで引き上げて目を閉じた。  同時に、部屋の扉が開いて誰かが入ってきた。寝たふりを決め込む。額のガーゼは恥ずかしいけれども、それを説明するのはもっと恥ずかしい。 「アリス……」  気遣った声はヘンリのものだった。  小さな足音の後、自分を覗き込む気配がする。いまさら目を開けるわけにはいかない。  ドキドキしたまま浅い呼吸だけしていると、頬に何かが触れた。指の背のようで、優しくそっと頬を撫でられる。  アリスの心臓は早鐘のように打っていた。エスコート以外で彼に触れられたことなど、ない。  頭の横の布団が沈んだ。彼が手をついているのだろう。見えないけれども、覆いかぶさられているらしい。アリスは息が止まりそうになった。  それから、額のガーゼ越しに、やわらかい何かが押し当てられた。  それはすぐに離れ、近くにあった気配が消える。足音の後に、扉が閉まる音。  アリスは目をかっと開き、がばりと体を起こした。 「…………えっ!?」
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