坊主の理由

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『考え直せ』  一言だけ書かれたメモ用紙を見て、ため息。  くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に投げ入れる。  その主張よりも、匿名のこんな走り書きが、僅かなりと人の心に働きかける事ができると思っているらしい、その心持ちにうんざりする。  俺はグラウンドで練習を始めているはずの部員たちの元へと向かった。    一年前、この学校に赴任してきた。田舎の名門校。進学率が高く、歴史が長く、そして保守的。生徒手帳には、表に出れば「ブラック」として取り沙汰されそうな、今時ありえない校則が並ぶ。その上、そこに載っていない決まり事はさらに多いときている。  髪の長さの制限、下着の色指定は当たり前。パーマや色染めは厳禁なのに、天然の縮れ毛や色の薄い髪は黒髪ストレートにすることを強要される。アクセサリー禁止はまだしも、髪を留めるピンやゴムも、黒か茶以外は禁止。この辺りまではよそでも時々聞く話だが、休日も外出時は制服を着用すること、男女が一緒に登下校や外出をすることの禁止、エレキギター禁止……などなど。挙げ句の果てには女子が歯を見せて笑うと指導の対象になる、なんてことまであって、さながら昭和、いや大正時代かとまで思われる。  とは言え俺だってそのいちいちに楯突くつもりはない。こちらは規制される側ではないのだし、実際に指導にあたる機会もそれほど多くはなく、理不尽な規則を押し付けているという罪の意識も、それほど感じずに済む。逆に、多少のことは見逃してやれば、自分が若い世代の味方になれたという満足感が得られるし、生徒の受けだっていい。だからといって、当の生徒たちが、裏でぐちぐち言いながらも受け入れているものを、わざわざ変えてやるほどお人好しではない。たとえこの先マスコミやSNSで叩かれることがあろうとも、末端の教師にはなんの痛手にもならない。  一言で言えば、面倒なのだ。  しかし、自分が直接指導する立場ともなると、やはり居心地が悪い。俺自身納得がいっていない規則に、生徒たちを従わせるのは、なんとも気が乗らない。  だから、野球部の顧問をやることになったとき、こればかりは、変えようと思った。  全員丸刈りにする、と言う伝統である。  意外にも、生徒たちからの抵抗が強かった。主に三年生だ。自分たちが我慢したのに下のものが自由にするのは気に入らない、とでも言うのかと思ったが、どちらかと言えばこの「伝統」にすっかり組み込まれてしまっている、という様子だった。  言葉をつくし、理屈を駆使して、どうにか髪型を自由化することを認めさせるのにひと月かかった。続けて職員室。強く抵抗したのは体育教師や一部の年寄りなど。残りはそんな事に思考と労力を割きたくないという、消極的潜在的な保守主義者。俺は後者から突き崩しにかかった。一人、もしくは二人ずつ、食事に誘ったり、休憩時間に声をかけたりして、少しずつ本音を引き出していく。内心に少しでもこの校則や校風への違和感があれば、それを煽り立て刺激して、徐々に味方へと引き込んでいった。職員室全体の空気を変え、ついには校長から「今どき坊主でもないでしょう」という言葉を引き出すのに三ヶ月。例年県大会どまりの我が野球部では、三年生も引退し、結果スムーズに、坊主頭の強要を廃止することができた。副産物としていくつもの細かいルールが変更され、少しだけ学校全体の風通しが良くなったが、密かに心配していた、一部保護者やOB会からの説明を求める声はなかった。結局「伝統」とやらも、時代の流れに勝てなくなりつつあるのだろう。  ところが、部員たちの髪が……刈り込み続ける事を選択する部員もいたが、それ以外の部員の髪が「坊主」から「短髪」へと変わってきた秋口ごろ、「部員たちの髪を坊主に戻せ」と訴える匿名の電話やメール、手紙などが届くようになったのだ。  さっき丸めて捨てたメモも、その一つだ。  グラウンドに出ると、ちょうどアップが終わりキャッチボールが始まったところだった。お世辞にも強豪校とは言えず、内容もハードさもそこそこではあるが、手を抜いているとかふざけている選手など一人もいない。むしろ皆、与えられた環境の中で十分以上に真面目に取り組んでいる。髪の伸び始めた選手だろうと、その取り組みには何一つ欠けたところはない。結局のところ、服装や身だしなみの行き過ぎた規制に、たいした意味などありはしないのだ……あの紙切れを書いたやつにも、この練習風景を見せつけてやりたかった。  それから二ヶ月がたち、髪が襟足にかかる部員もでてきた、ある日のこと。季節でいえば、そろそろ冬を迎える頃。  いや、迎えるはずの頃、と言うべきか。  なぜなら……一度は下がり始めた気温は、ここにきて再び上昇を始め、とくにここ一週間ほどは、連日三十度近い気温をマークしていたからだ。  この現象は全国に及んでいた。比較的温暖な地域といえる我が県ですら異常なのに、北海道までもが、真夏日のさなかにあると言う。とうに雪が降ってもおかしくない季節であるにも関わらず、だ。  テレビに出てくる気象予報士や新聞記事の専門家などが、残らず首を傾げている。専門的なことはよくわからないが、結果だけでなくプロセスにおいても、相当イレギュラーな、ありえないことが起こっているらしい。  俺は夜遅くまで残って、この春に引き継いだ野球部関連の書類を整理しているところだった。あまりにも量が多く、ここ最近のものに目を通して概略を把握した後は、頭髪の問題や目の前の指導、そして今に至るまで続いている、匿名の、脅しとも要請ともつかぬ訴えに気を取られ、すっかり後回しになっていたのだ。もっとも、先代やその前の顧問も、どこまで目を通していたか疑わしい。何しろ最も古いものは一九七〇年代にまで遡るのだ。 「こんな前の決算書類なんかなんでとっておくんだよ」  ぶつぶつと独り言を言いながら、いらない書類を積み上げていく。もうある程度古いものはいちいち確認しなくてもいいような気がしたが、性分で手をつけ出すとついついいらないところまで目がいってしまう。  トーナメント表やらもう存在しない高校との練習試合の記録やら。次々振り分けていると、隙間から、古びた封筒のようなものがはらりと落ちた。  拾い上げると、筆文字で何か書いてある。正直達筆すぎて読めない。ただ、端のほうに朱筆で「重要」と書かれていることだけは、はっきりと見て取ることができた。  その文字といい、封筒の変色具合といい、今までに見たどれよりも古いもののようだ。  封はされていない。俺は中から黄変した半紙のようなものを取り出して、開いてみた。そこにも筆によるグニャグニャした文字で何やらが書かれている。少しでも意味が汲み取れないかと苦心するうち、いくつかの言葉を読み取ることに成功した。 「野球……外国……神々……不興……天候……約定……頭髪……?」  朧げに、それらをつなぐストーリーが頭に浮かんでくる。  異国のスポーツを行うことをよしとしない土着の神々を鎮めるため、選手の頭髪について契約を結んだ……  いや、まさか。そんなバカな。  その契約を破ったから、今の異常気象があるなんて。  そんなバカなことが。  呆然とする俺の頬を、開いた窓から吹き込んだ生ぬるい風がなでた。
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