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夏休み
時刻は二十一時を過ぎている。日課の夜のランニング。立ち寄ったさびれた公園のベンチで尾崎悠人は休んでいた。
走っているときよりも、止まった後の方が体中から汗が噴き出る。頬を伝い、地面にぽつぽつと落ちていく汗をぼんやりと眺める。
当てもないランニングを始めたのは悠人が小学五年生の時、田ノ浦町からここ深山町に引っこしてきてからである。毎日毎日さまようように、走り続けてもう六年になる。
そのまま目を閉じる。今日も海の底に沈んでいくぐらい体が重たくなっている。全身の疲労感に頼って思考をわざと麻痺させる。
分かっている唯一のことは、自分が一人だということ。
沈め、沈め。頭の中でそんなことを繰り返し唱えていたときだった。
「もしかして尾崎くん?」
自分の名を呼ぶ声に、悠人は顔を上げる。悠人の顔を覗き込むように、中腰の女の子がいる。自分と同い年くらいだろうか。
どこかで見たことがある顔だ。それもすごく最近。
「びっくりした。尾崎くんちもこの近くなの?」
「あ…、いや…、ランニングしてて、家は深山町のほうで…」
言葉をつなぎながら考える。この子は自分の名前をはっきりと口にした。同じ学校なんだろう。しかし話したことがあるのだろうか。入学してからまともに会話をした人は数えるほどしかいない。その中に彼女はいなかった気がする。
「うっそ。けっこう遠いじゃん。ここから五キロは離れてない?」
彼女は悠人の隣、ペンキのはげかけたベンチに何のためらいもなく腰をおろした。
「そ、そうなのかな。あんまり距離とか気にしたことなかったからわかんない、かな。」
足が動かなくなるまで、苦しい以外何も考えることができなくなるまで走るだけなのだ。
「それだけ走ってるならさ、陸上部入ってくれたらいいのに」
ということは彼女は陸上部なのだろう。それでも陸上部には知り合いなんていない。
「ごめん、話したことあった?」
悠人は記憶をたどるのを諦め、申し訳なく尋ねた。
「あれ、話したことなかったかな? でも同じクラスじゃん。出席番号も席も尾崎くんの後ろだし」
クラスメートのことはあまり覚えることができていなかったが、プリントを回すときに何度か見ていたことがある彼女のことは記憶の隅にあったのだと納得した。
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