すれ違いのアルテミス

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すれ違いのアルテミス

     大学の法医学部時代、先輩にキャンプに連れて行ってもらったのを切っ掛けに、伊佐美 奏こと私は、以来ソロキャンプにハマってしまった。 これは、とある非科学的な現象のせいで、将来検視官になる夢を諦めた私の、一人旅の回顧録だ。 私は今、N県S山にあるキャプ場で、ソロキャンプを満喫していた。 大学を卒業し警察官を夢見ていた私は、自分の特異体質のせいで夢を諦める事になった。 その失意の最中、私を救ってくれたのがこの一人旅だ。 女の一人旅など危険だと厳格な両親には反対されたが、元々人付き合いも下手くそな私にとって唯一残されたパーソナルスペース。 そうそう諦められるものでは無い。 「ちょっと!私の話聞いてるの!?」 まただ……。 ハンモックに揺られていた私は女のヒステリックな怒鳴り声に目を覚ました。 横目で隣を見る。 昨日から直ぐ近くでテントを張っている一組の家族。二人とも三十代くらいだろうか。 着いたそうそう口喧嘩をしていて勘弁してくれと思ったが、どうやら火種はまだ燻っている様だ。 犬も食わない様な事を繰り返しているのをこう見せ付けられると、つくづく私は一人で良かったと思ってしまう。 そう言えば夫婦には子供が居たはずだが……?ふと、辺りを見回すと背後の木陰に人の気配を感じた。 振り向くとそこには小学生くらいの男の子が、私を見てじっと立っている。 「ど、どうしたの?」 私が声を掛けると、少年は気恥ずかしそうにモジモジとしだした。 「あ、あの……」 おずおずと少年が声を掛けてくる。 「何かな?」 私はハンモックに座り直し聞き返す。 「そ、それ……楽しい?」 不意に指を指す少年に釣られてハンモックを見た。 なるほど……。 「気持ち良いよ、乗ってみる?」 すると、少年はパッと目を輝かせ何度も頷いて見せた。 「わあ凄い揺れてる!」 ハンモックを貸してやると、少年は満足そうに笑みを浮かべはしゃぎ始めた。 「お、おい、あんまり動き回るな、落ちるぞ」 「あ、ご、ごめんなさい」 どうやら素直な子の様だ。 「ふふ、まあいいさ、ところで……お母さん達いつもああなのか?」 「え……?う、うん……」 少年は返事を返すと、そのまま俯いてしまった。 「そっか……」 こういう時何と声を掛けてやればいいのか分からない。 自分の幼少期をふと思い返すが、昔から感情が気薄な子で余り手が掛からなかったという、有難くもない母の言葉だけが頭を過ぎる。 「雅人!」 「あ、ママが呼んでる、僕行かなきゃ」 「あ、ああ……あ、おいこれ」 私は走り去る少年を呼び止め、手直にあったお菓子の袋を投げて渡した。 「これ何?」 「マシュマロ、軽く火で炙って食べると美味しいぞ、ママ達と一緒に食べるといい……」 「う、うん!ありがとうお姉ちゃん!」 こちらに向かって手を大きく振りながら、少年は走り去って行った。 「やれやれ……」 腕時計に目をやる。 時刻は午前十時。もうすぐ昼時だ。そう言えば少し小腹が空いてきた様な気もする。 「久々に山菜でも揚げてみるか……」 季節は四月。 今ならセリやミツバ、フキノトウ何かもいい、上手くいけばこの辺りならタラの芽もあるかもしれない。 私は早速準備に取り掛かると、着替えを済ませ山へと入った。 散策を続ける事一時間、ある程度の収穫を済ませ、そろそろ下山しようと思った時だ。 「なんだ……?」 木々の間に人影が見て取れた。 見覚えのある服装。 今朝隣で夫婦喧嘩をしていた奥さんの様だ。 何か花を摘んでいるのだろうか、地面にしゃがみ一心不乱に何かを袋に詰めている。 そっと近付き背後から様子を伺う。 あれは……。 「何を摘んでるんですか……?」 思わず後ろから声を掛けた。 瞬間、女は肩をびくりとさせながら慌てて振り返った。 「あ、貴女は……キャンプ場の……な、何か?」 明らかに様子がおかしい。 取り乱した様に持っていた袋を背後に隠した。 「いえ、山菜でも摘んでいるのかなと思いまして……」 「そ、そう、私山菜摘みが趣味なの、晩御飯にでもと思って……」 「そうですか……この辺りは熊も出るらしいですから、余り奥には入らない方がいいですよ……それは……?」 女が背後に隠し持つ袋を指さして言った。 「こ、これは……ニンニクよ、ギョウジャニンニク!知らない?夫と子供にも元気になって欲しいから、」 その時だった。 ──ガサッ 「ひっ!」 女性が突然の物音に小さく悲鳴をあげた。 「大丈夫、この辺りに熊なんて出ませんから……」 「え……?あ、貴女さっき熊が出るって……?」 「ああ……ただのブラフです」 「ブ、ブラフ!ちょっと、貴女私をからかってるの?」 「いやまあ……山菜が趣味で山に詳しそうな貴女がどんなもんかと思いましてね……」 そう言って私は荷物を下ろし、ポケットから煙草を取り出し火を付けた。 吸い込んだ煙を吐き女を見る。 何かに怯えた様子で口を閉ざしている。 「昨日から見て思ってたんですよね……」 「な、何を……?」 女が私の問いに返事を返す。 「奥さんの服装……都会でショッピングでも楽しんでる様なファッションでしたよね、つけ爪のネイルファッションもお似合いですよ、とてもキャンプが好きで山に来たとは思えませんが……そういえば料理だって昨日から旦那さんがやってましたね、それに今も……」 私はそこまで言って女性の服装に目を凝らした。 「山菜摘むのに半袖ですか……オマケに靴も高そうなブランドもの……」 「こ、これは……」 女が言いかけて言葉を詰まらせる。 「イヌサフラン……ですよねそれ……」 「なっ!?」 私の言葉に女は驚いた顔で私の方を見た。 強ばった口元が微かに震えているのが分かる。 「イヌサフランの球根はギョウジャニンニクとよく似ている……でも、ギョウジャニンニクには球根はありません、茎も赤なのに対し、それは緑色だ……。山菜採りが趣味な貴女が見分けがつかないというのも疑わしい。イヌサフランにはコルヒチンという有毒成分が含まれている。球根一個に含まれる毒性は約20mg、致死量はその約4分の1、一齧りでもすればあの世行きだ。さて……昨日から夫婦喧嘩が耐えない貴女が、一体それをどうするつもりなのか……」 女性の顔が見る間に青ざめ、視線を力無く地面に落とした。 私はため息と共に煙を吐いた。 憂鬱な時ほど不味い煙草はない。 「別にあんたをどうこうするつもりは無い……私はただのソロキャンパーだ。ただ、あんたが何かに悩んでるなら、話くらいは聞くよ……」 そう言って私は女の近くにあった倒木に腰掛けた。 「煙草……一本貰える?」 ボソリと言う女に、私は黙って煙草を差し出す。 「ありがとう……」 言いながら女が私の隣に座った。 「私ね……結婚に向いてないのよ……」 「だろうな……」 「冷たい子ね……まあ見かけ通りだけど……」 ほっとけと言いたかったが黙って聞き流す。 「今の夫とも、周りがそろそろ落ち着けって言うから、流されるまま結婚したのよ。しかもいざ結婚の話をしたらコブ付きよ?もう最悪……」 「あんたの子じゃなかったのか……子供は嫌いか?」 「嫌いよ……でも、一緒に暮らすうちに情だって湧いたわ……良い母親になろうと私なりに努力したつもり……」 女が煙を吐いた。 立ち上る煙を悲しげな瞳で追いかけている。 「雅人君だったっけ?素直で良い子じゃないか……」 「ええ……私には勿体ないくらい……でもあの子が何を考えているのか分からないの……今日だって、あの人と喧嘩した後、私の事黙ったままじっと見てた……嫌われているのかもね……」 「そうかな?」 「え?」 「見た感じ私には引っ込み思案な子に見えたよ……そういう子って、何か声を掛けたくても中々言い出せなかったりするもんだろ……心当たりとかないのか?」 「心当たり……そういえば、前におもちゃ売り場のぬいぐるみをあの子がじっと見てて、私が買ってあげようかって声を掛けたら、あの子凄く嬉しそうに笑ってた……」 「そういうもんだよ子供って……さっきも、あんたの事心配して何か声を掛けてあげたかったのかもしれない……だろ?」 「ふふ……そうね……本当に母親失格ね私……別に……殺そうと思ってた訳じゃ……ないのよ……」 女はちらりと私を見て申し訳なさそうに言った。 「旦那さん……?」 私の問いに女はこくりと頷く。 「いつも仕事優先で、私の悩みなんか聞いてくれないのよ……今日だって、私とあの子を置いて仕事があるから先に帰るんだってさ……だったら少し懲らしめてやろうって……」 「おいおい……」 確かにイヌサフランは腹痛や嘔吐症状も出るが毒性が高すぎる代物だ。 懲らしめるレベルではない。 が、この女はどちらかというと、感情的になりやすい人物に見える。その辺は深く考えていなかったのだろう。 おそらくスマホか何かで適当に毒性の植物でも探して、たまたまイヌサフランを見つけてしまったのかもしれない。 「話聞いてくれてありがとう……私なんかよりよっぽど貴女の方が母親には向いているわ」 「勘弁してくれ……子供は苦手なんだ……」 「あら、一緒に暮らせば好きになるかもよ?私みたいにね……ありがとう、私もう少し頑張ってみる、あの子にとって良い母親になれるように……」 女はそう言うと立ち上がり私を見て微笑んだ。 その顔は、先程の鬼気迫ったものと違い、母親らしい自然な笑みに見えた。 その後、私は女と別れキャンプ場へと戻った。早速収穫した山菜の調理に取り掛かると、隣から笑い声が聞こえ思わず振り返った。 「もう大丈夫そうだな……」 父親の姿は見かけなかったが、母親と雅人君は仲良く過ごしている様だ。 「久々に呑むかな……」 下ごしらえを済ませ山菜を鍋に入れると、クーラーボックスからビールを取り出す。 誰気兼ねすること無く昼間からこうして呑めるのもソロキャンプの良いところだ。 ビールに口をつけ揚げたての天ぷらに塩を一振、一齧りすると、口の中にサクサクの食感と絶妙な甘みと苦味が混ざり合う。 これでビールが進まないわけが無い。 気が付くと缶は一つ二つと重なりだし、やがて三本目を開けた頃には、私はテントのシェラフにくるまっていた。 どれくらい立ったのだろうか。 やたらと外が騒がしく感じ、私はふらつきながらテントを出た。 いつの間にか外はすっかり日が暮れ、辺りは闇夜に包まれている。 夜空にやたらとライトアップの光が見えた。 その中に明滅する赤い光も混ざっている。 「何か……あったのか?」 私は胸騒ぎがし、明かりが飛び交う方角に走った。確かこっちには集合の流し台があったはずだ。 そして直ぐ近くには長い吊り橋がある。 やがて視界の先に人だかりが見えてきた。流し台の先、吊り橋の入口には大きなブルーシートがズラリと立てられ、その周りには厳重に封鎖する警察官数人の姿。 救急車やパトカーが何台も停車し、その物々しさを物語っている。 私は目の前に居た男性の肩を叩いた。 「な、何があったんですか?」 すると男性はこちらに振り向き、重苦しそうな口を開いた。 「吊り橋から女性が落ちて亡くなったらしいよ……自殺か事故かは分からないけど、子供も居たらしい、お父さんはいなかったらしくて、子供の方はさっき警察が保護して行ったよ……可哀想になあ……」 「母親と子供だけ……」 「あ、ああ、姉さん顔色悪そうだけど大丈夫かい?」 「は、はい……ありがとう……ございました……」 私は男性にそう言い残し、テントへと戻った。帰り際、おぼつかない足取りであの家族のテントへと立ち寄った。 そこにはあの女も、雅人君もいなかった。燻り灰になりかけていた薪を、怒りをぶつけるようにして 蹴り飛ばした。 「クソっ!」 ふと辺りを見回す。 食事を済ませた後だったのか、カレーの鍋が虚しくテーブルに佇んでいた。 「何で……何でこうなるんだよ……」 思わず握った拳に爪が強く食込む。 振り返りテントに戻ろうと歩み出した時だった。不意に、ビニール袋が目に止まった。 何となく気になり目をやる。 「これは……!?」 余りの事に愕然とし、私は崩れ落ちる膝を支える事ができなかった。 震える手で袋を掴みそれを凝視し、やがて私はその場にうずくまった。 笑い声とも、泣き声とも分からぬ声で、私は衝動的に湧き上がる感情を必死に押し殺した。 やがてフラフラと立ち上がると、私は自分のテントに戻り、眠れぬ夜を過ごした。 朝になるとテントをたたみ荷物をまとめ、私は車に乗り込みその場を後にした。そして運転中、蜃気楼の様にユラユラと立ち昇る朝日を見つめ誓った。 またここに戻って来ると。 来るべき日を待ち、ケジメを付けるために……。 それから一ヶ月と少し立ったある日の事、私はあの悲惨な事故があった吊り橋に車を停めていた。 結局あの事件は、吊り橋を渡ろうとして橋から落ちたという事故死で片付けられたと、後でニュースで知らされた。 確かに事故かもしれない。 それでも確かめなければならない。 関わってしまったのだから、ケジメをつけなければならないのだ。 暫く車の中で待っていると、流し台の建物から人影がが見えた。 視線を向ける、そこにはあの時の女の旦那さん、それに雅人君が、喪服姿でこちらに歩いて来ていた。 今日はあの悲運な事故から四十九日目、必ず現れると思っていた。 二人が吊り橋の手前に花を供え、手を合わせ深々と頭を下げる。 やがて帰ろうとする二人を見計らって私は車を出た。 「あ、お姉ちゃん!」 雅人君が私に気がつくなり駆け寄ってきた。 「貴女は……?」 旦那さんとは話すのはこれが初めてだ。 優しく真面目そうな人に見えた。 「少し……雅人君とお話してもいいですか……?」 「雅人と……はい、では私はそこの休憩所にいますので……」 私が女性で雅人君も顔を知っていたというのもあり、旦那さんは快く了承してくれた。 「ありがとうございます……雅人君、ちょっといい?」 「うん」 雅人君が返事を返し、私の後に着いてくる。 やがて供えられた花の前で立ち止まると、私はゆっくりと口を開いた。 「あの時……お母さんに何があったの?」 「ママ……?あの時ってキャンプしてた時?」 「うん……お母さんはここに何をしに来たのかなって……」 「ここに……」 雅人君は思い返すように首を傾げて見せた。 「何でもいいんだ……思い出してくれ……そして隠さず正直に話してくれ……」 「隠さず……?僕何も悪い事してないよ?」 「ああ、だとしてもだ……正直に、あの時あった事を話して欲しい……」 すると、雅人君は俯き、言い出しにくそうにしながら口を開いてくれた。 「ごめんなさい……僕、お姉ちゃんとママが話してるの隠れて見てたんだ……」 「私とお母さんが?い、いつだ?」 「ママがこれを食べたら元気になるって言ってた時……」 「元気に……?あの物音か……」 確かに物陰から音がしてあの女が驚いていた。 雅人君はあの時私達を覗き見していたのか……。 「それで……?」 聞き返す私に雅人君が小さく頷く。 「ママに元気になって欲しかったから、その日は僕がカレーを作る事にしたんだ……その時にママの言葉を思い出してあの野菜を拾いに行った……」 「イヌサフランを!?」 「いぬ?」 「あ、いや……それをママに?君はカレーを食べなかったのか?」 「食べたよ?」 「食べた!?ど、どうやって?」 「僕……野菜苦手だから……お鍋を分けて作ったの……だから……」 「つまり……君はイヌサフランを食べなかったのか……」 「いぬさふらんってなあに?」 キョトンとした顔で雅人君が尋ねてきたが、私はそれには答えず質問を続けた。 「お母さんは食べた後どうしたんだ?」 「僕の分のお鍋は余ったから、明日パパが戻ったら食べさせてあげようってママが……空になった鍋とお皿を洗いに行ったよ、そしたらママ帰って来なくなって……」 そこまで話し辛くなってきたのか、雅人君は言葉を詰まらせた。 皿と鍋を洗いに行った……。 鍋を洗っていた女は自分の体に異変を感じ、洗い掛けの鍋を見て気付く。溶けかけたイヌサフランの球根に……。しかしなぜそこから吊り橋に……。 その瞬間、あの時、女が言っていた言葉が頭を過った。 ──私もう少し頑張ってみる、あの子にとって良い母親になれるように……。 自分の死を悟ったのか……そしてあの場所で亡くなれば子供の事が世間にバレると思い、自ら吊り橋まで……。 木々がざわめく。 生温い風が辺りに吹き、私の長い髪をなびかせた。 コルヒチンは少量ならまだしも、大量に入れたカレーなら身が持たない。 激しい嘔吐や目眩、呼吸困難にあったはずだ。 なのに……なのにあんたはそれすらもお構い無しに、吊り橋まで……。 「あんたはそれで満足なのか!応えろ!」 「お、お姉ちゃん!?」 豹変し怒鳴り声をあげる私に、雅人君が怯えるような目を向けてきた。 だが、勿論その言葉は雅人君に向けた言葉ではない。 雅人君の背後に佇む、あの女。 いつの間に現れたのか、今にも消え入りそうな半透明の雅人君のお母さんに、私は睨みつけるようにして言ったのだ。 以前にも見た事がある。 医学を志した者として、絶対に見てはイケないもの。非科学的な現象。 妄想や幻覚、精神理念上にしか存在を許されていないもの。 あんなものがあっていいはずがない、いや、存在してはならない。 私は遠い過去、アレが見えてしまったせいで、夢を諦めたのだ。 非科学的な現象を認めざる得ない自分に落胆し、科学を信じきれなかった自分に失望したから……。 それが正に今、雅人君の肩に手を置き、背後に立っている。 涙を流し、慈しむ眼で我が子を見つめながら……。 「応えろ……応えてくれ……どうすればいい……あんたは……あんたはこれで満足なのか……?」 半透明の女は何も答えない。 代わりに溢れんばかりの涙を零しながら、あの時最後に見せた笑顔で頷き返してきた。 「何だよその顔……こんな時に母親面しやがって……!子供は嫌いだって言ってただろ!何だよ……それ……」 「お姉ちゃん……?」 雅人君の心配そうな声が耳に届く。私は項垂れた顔を上げ口を開いた。 「ごめん……なあ雅人君……これから言う事をしっかり覚えててくれ……」 「え?」 「君がこれから先大人になった頃、気付きたくもない真実に気が付くだろう……」 「真実……?」 「ああ……君はきっと立ち上がれなくなる……絶望してしまうかもしれない……けれどその時になったら思い出して欲しい事があるんだ……」 「思い出して欲しい……事?」 「うん。君のお母さんは、君の事を愛していた。例え血が髪がっていなくても、君の事を大切に思っているんだ、今も、これからも……」 「今も?お姉ちゃんには見えるの?」 「見えるよ……ハッキリと……君の事が大好きだってさ……だからその時が来たら思い出して欲しい、そうすればきっと、君はまた立ち上がれるはずだから……」 「凄いお姉ちゃん見えるんだね!うん、僕忘れないよ!いつかその時が来たら思い出すよ!」 「良い子だ……」 「雅人!そろそろ」 「あ、パパが呼んでる、またねお姉ちゃん!」 雅人君はそう言って両手を振って駆け出していった。 遠ざかる親子がこちらに振り返り頭を下げる。 私もそれに慌てて頭を下げた。 顔を上げると、去りゆく父と子の横で、あの半透明の女だけがずっと頭を下げ続けていた。 ほんの小さな綻びが、悲しい運命へと導いてしまった。 巻き戻せないすれ違い……確か神話の神様にもそんな女神がいたな……アルテミス……だっけか。 車に戻り煙草を手に取った。 が、私は思い直し煙草をダッシュボードに仕舞うと、代わりにスマホを取り出し通話を掛けた。 「あ、もしもし母さん……うん私……別に用事って訳じゃないけど、ちょっと声聞きたくなっただけ……」 久々に聞いた母の声に、私はなぜかほっとしていた。 心を通わせる相手がいる事に……すれ違わないように……アルテミスを思って……。
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