コーヒーの木

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5  一体どうやったのかほとんど覚えていないが、私はなんとか若様放棄案件をやり遂げた後、二週間、仕事を休ませてもらった。  課長に勧められて病院にも行ったところ、自律神経が乱れているだけとのことで診断書はでなかった。  診断書のない私でさえこんなにも休ませて貰えたのだから、診断書のある若様は休職だってできるだろう。それなのにそうしないのは、以前、「家に帰りたくない」と嘆いていたことと関係があるのだろうか。  久しぶりに出社すると、窓際に置いてある鉢植えからひょこっともやしみたいな芽がでていた。一体何の植物なんだろうと思って近づくと、 「これ、コーヒーの木なんだよ」  突然背後から声を掛けられて飛び上がった。振り返ると、ジョウロを手にした若様がいてまたもや私は驚いた。長く休んでしまった申し訳なさからせめてにと朝一番乗りで出社したつもりだったのに。  こんなに朝早くからいるとは、もしかして、さすがの若様も私のことを気にしていたのかと思ったら、 「あれ、待てよ、ここだと直射日光になっちゃうかな」  そう言って、若様は鉢植えを持ってまだ誰も出社していない隣の課へと歩いて行った。  がっくりと肩を落として、若様を眺める。  若様が、本当に何かの病気なのか、ただ単にズレまくってる人なのか、私にはわからない。ズルいという気持ちも、どうしても拭えない。  そして何より、私は彼が嫌いだ。  でも。   本当に、できないということ。  あの夜、私は自分で自分をコントロールできない怖さを味わった。当事者にしかわからないことがある、といってしまえばどこか排他的で淋しいけれど、若様には、若様にしかわからない苦しみが本当にあるのかもしれない。人から見てわかりづらければわかりづらいほど、それはきっと、辛い。  結局、あの後私は母親に電話をした。そうして迎えに来てもらって、「一歩も足を動かせない、死んでしまう」と泣き叫ぶ私を、母は介護するように抱きかかえ、ひとまず近所の実家に連れて帰ってくれた。  穴だらけの最下層だと思っていたのに電話をしたのはなぜだろう。普段の私には想像もつかない行動だったけれど、きっと、私が心ではずっと強く母を求めていたからだ。  そして何より、生きたかったからだ。  優しい世の中になってほしい。  ふと、漠然と、そんなことを思う。子どもの感想文みたいな、大人が使うには恥ずかしくて無責任極まりない言葉。だけど、それが今の私の本心だった。  そうだな。若様のことは、利用するぐらいの気持ちでいいのかもしれない。  コーヒーの木なんて、きっと自分は一生育てることがないだろう。どんな葉をつけ、何色の花を咲かすのか、私は何も知らない。  だから、枯れたら困る。若様には頑張ってもらわなければ。  今なおせっせと鉢植えに最適の場所取りをしている若様に苦笑しながらも、私は「よろしく」と心の中で呟いた。
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