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小さな頃は、確かに怖い夢をたくさん見たような気がする。それで、母に泣きついて慰めて貰うことが少なくなかった。というのも、私が見る“怖い夢”は正夢になることも多く、それで私や家族以外の誰かが酷い目に遭うことも少なくなかったからだ。
いくら自分に直接実害がなくても、知っている人が悲しい結果になるような正夢を見るのはとても辛い。最初の頃は、その“法則”にまったく気づいてなくて、避けようがなかったから尚更である。
『世の中には、不思議な力を持っている人もいるのよ。あるいは、舞美ちゃんが特にそういうものでなかったとしても……誰かに、何かに影響されて一時的に特別な夢を見てしまうなんてこともあるのかもしれないわ。大丈夫、悪夢を見てすぐ泣いてしまうような優しい舞美ちゃんが報われないはずがないもの。きっとなんとかなるわ』
母の柔らかい胸に抱きついて、頭を撫でて貰うのが好きだった。幼い頃はどんな悪夢を見ても、彼女に抱きついて一緒に眠ればぐっすりと休むことができたのをよく覚えている。
そのせいだろう。今はもう“怖い夢”なんてものは見なくなったし、母に泣きつくこともなくなったが。それでも一人暮らしになった私を心配する母が、一行目に書くことは同じなのである。
『大丈夫?怖い夢はもう見ない?』
心配しすぎ、と思う反面。愛されていることを実感して嬉しくもなるのである。私はそのたびに、もう見てないから大丈夫だよ、と返す。
――何も心配ないの。私はもう“大人”になったんだから。怖い夢なんかないんだから。
それに、一人暮らしを始めてから楽しみもできた。あの一家を観察することである。両親の仕事の都合もあるのか、彼等は夕食の時間が遅い傾向にあるのだ。私が仕事から帰ってきてベランダから外を見ると、丁度四人で食卓を囲んでいることも珍しくないのである。
幸せそうな家族を見るのは好きだ。荒んだ心もほっこりと癒される。私はいつもドキドキしながら彼等の様子をベランダからひっそりと眺めるのだ。それが毎日の日課になっていた。帰るのが極端に遅い日だけはどうしても無理だけれど。
――“いつ”になるかな。
私はうっとりと目を閉じた。
――“いつ”、素敵なことは始まるかな。
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