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3
タクシーから降りた瑞穂は、自分がパーカーにデニム姿であることが恥ずかしくなる。家から出ないと決めた日は化粧もしなかったので、今の自分が散々な姿であることはわかっていた。
それでも恵介は何も気にしないような素振りでエレベーターに向かう。その間もずっと手を握られたままだった。
到着したエレベーターに乗り込み、恵介は八階のボタンを押す。モーター音だけが響き、静かに時間が過ぎていく。
一体何が起こっているのだろう……。どうして私は恵介と一ホテルに来ているのだろうか。
エレベーターが止まり、恵介に手を引かれ歩いていく。八○五号室のドアの前で立ち止まり、恵介はカードキーを差し込んだ。部屋の中へと招かれ、おずおずと足を踏み入れる。
駅前にあるこのホテルからの眺めは、もう何年も見続けて来た変わり映えのない景色だった。それなのにどうしてか、今日はいつもより輝いて見えた。
窓辺に近寄り、空を眺めながら立ち尽くす。ホテルなんていつ以来だろう。体に痣が目立つようになってから、崇文は旅行に行こうとはしなくなった。ホテルで食事すらもなく、休みの日でさえ家にいるだけの生活だった。
ようやく顔を上げた瑞穂は、部屋の中を見渡す。ツインのベッドと二人用のテーブルとイス、それから机が置かれただけのシンプルな部屋。ドアのそばの収納にはスーツのジャケットが掛かっており、キャリーバッグが置かれているのも見えた。
恵介はベッドに腰掛け、瑞穂に隣に座るよう促す。戸惑いながらも瑞穂は恵介の横に座った。
「あの……出来れば早く帰りたいの……。夕飯の支度もあるし、それに……」
「残念だけどそれは無理だよ」
「……どういうこと?」
「瑞穂をあの家には帰さないということ。しばらくここで生活してもらうよ」
「そんなの困る! だって私が帰らなかったら……」
掴みかかった瑞穂に、恵介は優しく微笑んだ。
「お義兄さんが怒る? 大丈夫。俺から連絡しておくから安心して」
「そ、そんなのダメよ! そんなことしたら……」
「大丈夫だから。瑞穂は何も心配しなくていい。俺はこれから買い出しに行ってくるけど、この部屋から出たらダメだよ。もし出たら、全てを母さんに話すから」
「やめて! お母さんには言わないで!」
「じゃあ部屋から出ないこと。わかった?」
「……わかったわ」
「よし。じゃあ少し休んでて。すぐに戻るから」
瑞穂が頷くのを確認し、恵介は部屋から出ていった。
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