きっかけ

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きっかけ

 白雪姫の死体を目にするまで女王は眠れる気がしなかった。狩人は崖から落ちたのだと飄々(ひょうひょう)と言ったがそんな世迷言(よまいごと)を信じるほど馬鹿じゃない。  女王は魔法の鏡を見つめた。まだ姿が映らない。白雪姫が憎い。あの娘は、私から美しさを奪ったのだ、そうに違いない。絶対にそうだ。でなければ有り得ない……。女王は唇を震わせた。 「女王様」  召使いの恐る恐るした声が扉越しに聞こえた。 「何よ」女王が苛ついたまま言うと、召使いは足音を立てずに入って来て、目線を落としたまま呟いた。 「隣国の王子様がお見えになっております」 「聞いてないわ」 「いえ。先日伝えたはずです」  召使いが堂々と言ったので女王は頭に血が上った。 「そんなのはどうでもいい!!」 「で、ですが、王子様は是非と申しまして……」  怒鳴ると、召使いは及び腰になりながらもしつこく食い下がった。女王は大きなため息を吐くと立ち上がった。ついでに召使いを睨んでやる。彼女より自分の方が数倍美しいと分かっていても、この苛立ちは収まりそうにない。  女王が謁見室に足を運ぶと、そこには凛とした眼差しを持つ少年が待っていた。まだ若い。白雪姫と同じくらいの歳だろうか。しかし彼女よりよほどしっかりしているように見えた。涼しげな銀の甲冑を身に着けた王子はその重さを感じさせない仕草で女王に(かしず)いた。  どうやら隣国は今更に王の訃報を聞き、何か協力できることがあればと王子を寄越したらしい。女王は退屈そうに頷いて適当な挨拶を返して言った。 「えぇ。そうね。何かあれば声を掛けますわ」  白雪姫を殺してくれだなんて頼めるわけがない。女王は何とか微笑みを作って王子との謁見を終了させた。しかし、王子は突然声を張り上げた。 「お待ちください! 失礼ですが女王様、何か悩み事がお有りのように見えます」  女王は驚いて王子を見つめたが、この少年に分かることなど無いと諦めて首を振った。純真な青色の目、穢れを知らない金色の髪、その幼さに笑みが零れるほどだ。女王自身の抱く憎しみを理解できるとは思えなかった。 「私個人の問題ですので、とてもこの場では申し上げられません」 「いえ。……いえ! 女王様個人の問題は国の問題とも言えます。私に協力させてください」 「何故? 貴殿には関係の無いことです」 「有ります! でしたら国は関係なく、私が個人的に、貴方の助けになりたいのです」  王子は熱っぽい眼差しで女王を見ていた。女王は覚えのある感覚に、すぐに察して自嘲した。こんな少年を(たぶら)かす程度の美でしかないとは。 「お気持ちは嬉しいのですが。家の問題ですから」 「私では解決できないことですか?」 「そんなこと、まさか……とてもお恥ずかしくて……まして王子様には言えませんわ」  女王は困った風に眉尻を下げた。両手の指を弄ばせる。王子は互いの本来の距離間も忘れて一歩踏み込んできた。 「どんな願いでも構いません。美しい女王様。私は貴方のお役に立ちたいのです」  青い目の中の劣情が、一層青を深くした。王子の熱は冷めることなく女王に近付く。  使えるかもしれない、そう女王が思った時には彼を連れて自室へと足を運んでいた。  女王は部屋に戻るなり泣く振りをし、白雪姫に陥れられそうになっていると嘘を吐いた。前妻の娘は私を酷く嫌っていて、王座から引きずり降ろそうとしてくるのだと。  王子はそんな女王に寄り添い、うっとりと彼女の腕を撫ぜながら囁いた。 「安心してください。私が何とかしてみせます」  王子の眼差しは不安定に揺れる。玩具を欲する子供のように歪んで、女王は呆れてこっそり溜め息を零した。
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