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「あっ」
「悪いけど売り物なんだ。欲しけりゃ金を払ってくれないと」
「そう……。私はお金を持っていないので買えません」
「そりゃ残念」
林檎売りは取り上げた林檎を籠に戻した。白雪姫が物欲しそうに見つめてくるが無視する。
「あのう」
「何だよ。売り物だって言ってるだ……ろ」
白雪姫は突然、林檎売りの鼻先に顔を近付けてきた。仮面越しに息遣いが聞こえる。思わず身を緊張させた林檎売りに対して、白雪姫は朗らかに微笑んだ。
「林檎売りさんの目は青いのですね。これも、赤くなりますか?」
視界を確保するため、仮面の目の部分だけは小さな穴が開いている。白雪姫はその中を覗き込んだらしいが、色まで判別出来るとは、林檎売りも驚いた。
「こ、これは赤くならない……」
「あら。残念です。私は、赤い目を一度見てみたかったの」
白雪姫は自分の目元を指差して瞬きをした。彼女の目は黒々しているが明るい。
赤い目を持つのは魔物の類、もしくは魔力が高い者だ。両者ともこの森には存在していないようだ。林檎売り自身も、そういった知識がある程度で、実際に目にしたことはなかった。
やはり白雪姫は魔女の子供だ。魔女は赤い目に憧れるという。林檎売りは勝手に納得して一人頷いた。
「金が無いなら用は無い。じゃあな」
林檎売りは彼女の返答も待たず身をひるがえすと森の奥へと消えてしまった。残された白雪姫は話し相手を失って不満げに手を振り回した。
「どこへ行ってしまったのかしら……」
ぼんやり空を見上げるが答えは分からない。
白雪姫は彼が行ったであろう方向を見つめる。道なき道だ。木の間を縫って歩くしかない。それでも彼女は迷いなく木々の隙間に身を滑り込ませた。
足場の悪い中を、時間の感覚も無く歩き続けた。ただ何も考えず、赴くままに進んでいく。林檎売りを追いかけてというより、彼を追えば別の何かに出会えるという予感のためだった。そしてその予感は的中する。
木々が途切れ、開けた場所に出た。小屋が一軒建っている。今白雪姫が住んでいるものより趣向が凝らしてあって楽しげだ。真っ赤な屋根に黄色い扉。軒先には人形のようなものや鈴が吊るしてある。靴下もあった。しかしどれもとても小さい。白雪姫の片手に乗せても余るくらい小さかった。
「なんて可愛いのかしら! きっとお人形のお家なのね」
白雪姫は小さな靴下を嬉しそうに撫でた。一見普通の小屋だが、扉はやけに小さくて低い。白雪姫は黄色い扉をコツコツと叩いた。
「こんにちは。どなたかいらっしゃいますか?」
耳を澄ませるも何も聞こえない。もう一度繰り返してみても同じだった。
白雪姫は好奇心の抑え方を知らない。小さな丸い取っ手を、指三本でつまんで捻った。鍵は掛かっていないらしく、扉はあっさりと開いた。
「失礼します」
腰を曲げながら入ると中は広々としていた。机も椅子もベッドもあるが、どれも同じように小さい。
「素敵! とても沢山あるわ!」
よく見ると全て七つずつ数が揃っている。どういうことかしら? 白雪姫はにこにこ笑いながら椅子を突っついたりベッドに頭を乗せてみたりした。白雪姫が小屋で使っているベッドの半分の大きさしかない。
キッチンを覗くと、小さな鍋がくべてあった。中にはスープが入っている。透き通った色のスープには木の実や、よく分からない塊や、くたくたになった草が浮かんでいた。独特な、ハーブのような香りがする。
「不思議なスープね。……あまり味がしないわ。でも美味しい」
指を入れて舐めてみるとまず香りが鼻を通った。舌には何の刺激も無い。白雪姫は首を傾げ、鍋に鼻を近付けた。嗅いだことの無い香りだ。でも不快では無かった。
「アッ!」
白雪姫ではない誰かの声がした。鍋から顔を上げて振り向くと、小さな人間がいた。
「あらまあ!」白雪姫は驚きと喜びで表情を綻ばせた。
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