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陰ながら
午後7時。仕事を終え、帰りの電車に乗った幡野葵は、席を確保するや否や鞄からスマホを取り出した。電源を入れ、慣れた手つきでブックマークしたサイトを立ち上げる。見慣れたトップページの文字が表示されるが、葵は特に目を止めることもなく、すぐさまマイページへと飛んだ。画面をスクロールしながら、お気に入り登録した作品の一覧に視線を走らせる。
やがて1つの作品が葵の目に留まった。タイトルに惹かれてタップすると、あらすじを紹介したページへと飛ぶ。さらにボタンをタップすると、画面いっぱいに縦向きの文字が表示された。興味をそそる書き出し。これは期待できそう――。葵は心が逸るのを感じながらじっくりと冒頭の文字を読み始めた。
ここまで読めばおわかりであろう。彼女が見ているのは通販サイトではない、小説投稿サイトだったのだ。
幡野葵は、都内の中小企業に勤める25歳のOLである。今まで小説投稿サイトとは縁のない生活を送っていたが、3ヶ月前から利用を始めた。そこには学生時代からの友人、田原智子の影響があった。
最後に智子と会ったのは今から3ヶ月前のこと。共通の友人2人を交えてランチに行ったのだが、その時の智子は様子がおかしかった。ずっとぼんやりしていて、心ここに在らずといった感じだったのだ。
帰りの電車で2人きりになった時、葵は智子にその理由を尋ねてみた。そこで初めて、智子が小説を書いていることを知ったのだ。何でも出版社の新人賞に応募したのだが、一次選考すら通らずに落ち込んでいたらしい。
その話を聞いた時、葵は純粋に驚きと感心を抱いたものだ。自分が何となく休日を過ごしている間に、智子はずっと小説を書き続けていた。フルタイムで働いて疲れているだろうに、仕事を言い訳にせずに夢に向かって邁進していた。そんな智子の姿勢を葵は心から格好いいと思った。
それに、智子が小説を書いていることを打ち明けてくれたのも嬉しかった。休日に料理やジム通いをしている人は多いが、小説を書いている人はなかなかいない。だから受け入れられるかが不安で、告白するのにも勇気が必要だっただろう。そんな秘密を打ち明ける相手として、自分を選んでくれたことが葵は嬉しかった。自分も友達として、智子の夢を支えたい。そう考えた結果、葵は智子が小説を投稿しているサイトをチェックするようになったのだった。葵に読書の習慣はなかったが、それでもサイトをチェックするうちに、少しずつ読書が面白いと思い始めていた。
サイトに投稿している人達はみんな素人だが、それでも面白い作品がいくつもあった。智子の作品だって例外ではなく、文章は読みやすいのに丁寧で、登場人物には共感でき、ストーリー展開に魅せられた。智子の作品を読むたび、葵は友人の意外な一面を知って脱帽していた。
しかし、なぜかサイトでは智子の作品は人気がなかった。他の作品に比べて評価が低く、読者からの感想も少ないのだ。ひいき目でなくても十分面白いと思えるのに、智子の作品が支持されない理由が葵にはわからなかった。この状況が続けば智子はサイトの利用を止め、ひいては執筆からも手を引いてしまうかもしれない。でも葵は智子の作品が好きで、智子に書き続けてほしかった。智子のモチベーションを保つために、自分に何か出来ることはないだろうか?
その時、葵の頭にふと浮かぶことがあった。自分の身近に、智子と同じように創作に打ち込んでいた人間がいたことを思い出したのだ。彼女は小説家を目指していたわけではなかったけれど、それでも創作に向き合う姿勢には智子と通じるものがあった。彼女に話を聞けば、智子にとってヒントになるものが見つかるかもしれない。
葵は一旦サイトを閉じると、SNSを起動してその友人の名前を探し始めた。
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