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創作の源泉
「やっぱり一番大事なのは、書いてて楽しいって気持ちじゃない?」栄子が言った。「他に楽しいことあったら、そもそも小説書こうって思わないだろうし」
「栄子は? 他のことより、絵描いてる方が楽しかったの?」
「うん! 絵描いてると、他のことしてるよりずっと時間が経つの早くてさ。1日があっという間に終わっちゃって、毎日時間足りないって思ってたな」
「そうなんだ」
確かに智子も、休日には半日から1日くらい小説を書いていると言っていた。それだけ夢中になれるということなのだろう。
「後は憧れもあるんじゃないかな」
栄子がケーキにフォークを差しながら言った。葵もようやくコーヒーに手を伸ばす。
「憧れ?」
「うん。好きな芸能人のファッションとか髪型を真似することあるでしょ。あれと同じで、好きな漫画家や作家に影響受けて、絵とか小説書きたいって人もいるんじゃない?」
「憧れの人に近づきたいってこと?」
「そうそう。あたしもすごい好きな漫画家がいてさ、その人の作品は10回くらい読んだんだ。そんだけ何回も読んでると、自然と特徴がわかってくるんだよね。だから意識してなくても似た作風になってくるのかも」
「へー、そういうものなんだ」
大学時代、周囲の学生がお喋りに興じる中、1人本に没頭している智子の姿を葵は思い出した。あの時の智子も、好きな作品の世界に浸り、それを生み出した作家への憧れに包まれていたのだろうか。
「書くのが楽しいって気持ちと、作家への憧れがモチベーションの維持には大切」葵が話をまとめた。「それはわかったけど、逆に挫折しそうになることってないの?」
「あぁ、それは何回もあるよ」栄子があっさりと言った。「書き始めた時はだいたい楽しいんだよね。新しいこと始めるのってそもそも楽しいし、この先どうなるんだろう? って自分でもワクワクするから。でも、途中で辛くなる時があるんだよね。展開に行き詰まったり、展開の構想はあっても話を上手く繋げられなかったりして。そういう時は全部放り出したくなる。気分が乗ってる時は、何時間描いても全然苦にならないんだけどね」
「そうなんだ……」
自分の手で一から作品を生み出す。そこには喜びがある一方で、常に何かを生み出し続けることへのプレッシャーが併存する。だからこそ、生み出すものが何もなくなった時にはスランプに喘ぐのだろう。
「後はやっぱり、自信をなくした時かな」栄子がアイスティーをかき回した。「あたしも新人賞に落選した時はかなり落ち込んだからね。あぁ、結局あたしは自己満足で描いてただけなんだって思って、そこからはしばらく立ち直れなかった。描いてる途中の作品もあったんだけど、どうせ自分の作品なんて誰も待ってないんだから、描いても時間の無駄だって思って、描くのが楽しくなくなったんだ。一度そうなると立て直すのは難しいよね。机に向かうのすら億劫になるし」
「そうなんだ……」
葵はカップに視線を落とした。新人賞の選考に落ちた後、智子も同じような気持ちだったのだろうか。小説を書いている意味がわからなくなり、大好きだったはずのものが嫌いになる。
「書くのに行き詰まった時と、自信をなくした時にモチベーションが下がる」葵が再び話をまとめた。「そこからまた持ち直す方法ってあるの?」
「そうだねー。あたしの場合は、そのまま描くの止めちゃった方だからなぁ……」栄子が遠い目になった。
「まぁでも、自分の中に書きたい気持ちが残ってれば、しばらくしたら復活するんじゃないかな。本当に書くのが好きな人は、違うことしててもつい小説のこと考えちゃうと思うし、一時的に離れてもそのうち戻ってくると思う」
「栄子はそうじゃなかったの?」
葵が首を傾げた。葵からすれば、栄子も十分描くことと共に生きてきた人だ。家庭に入ったとはいえ、今も描くことに未練はないのだろうか。
「あたしは……どうなんだろうね。」栄子がふっと寂しげな笑みを浮かべた。
「家庭に入ってほしいって言われた時、最初は正直嫌だったよ。漫画家にはなれなくても、何らかの形で絵は描き続けたいって思ってたからさ。でも、何ヶ月か経つと慣れちゃって、絵描けなくても以外と不満ないんだよね。それで思ったんだ。あたしはひょっとしたら、夢を追っかけてる自分が好きだっただけで、絵を描くこと自体はそんなに好きじゃなかったのかなって」
「そんな……」
葵はカップを握り締めた。違う。葵の知っている栄子は、誰よりも絵を描くことを愛していた。授業中にノートに描いた絵を見せては、葵が賞賛の声を上げるたびに照れたような笑みを見せた栄子。美大進学後、大好きな絵の世界に浸り、心から幸せそうな表情を見せた栄子。あれが思い込みだったとは到底信じられない。
でも――葵は口に出そうとした言葉を呑み込んだ。それは栄子だってわかっているはずだ。ただ、現実に適応しなければ生きていけなかったから、敢えて自分の感情に気づかない振りをしている。自分はまっとうな人生を送っているのだと言い聞かせなければ、夢に破れた傷を癒すことなど出来そうにないから。
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