待つ人がいれば

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待つ人がいれば

「でも、一番大切なのは、誰かが読んでくれることだろうね。」栄子がアイスティーを飲みながら言った。 「あたしもさ、友達が自分の書いた漫画を面白いって言ってくれると、すごく嬉しかったんだ。楽しみにしてくれる人がいるってわかったら、その人のために新しい作品を書こうって思える。読んでくれる人がいるかいないかで、モチベーションは全然違うんじゃないかな」 「誰かが、読んでくれる……」葵が噛み締めるように繰り返した。 「うん。漫画も小説も同じだと思うんだけど、書いてる間は本当に孤独な作業だからね。終わりが見えないし、時々自分がすごい駄作書いてる気になるんから。でも、そうやって苦労しながら書いた作品を、誰かが読みたいって言ってくれたらやっぱり嬉しいし、感想とか書いてくれたらますます励まされるよ。創作は1人でするものだけど、続けていくためには1人じゃ難しいんだよね、きっと」 「……そっか」 葵はしみじみと頷いた。確かにそうかもしれない。いくら自分の作品を面白いと思っていても、他の人から全く評価されない中で書き続けていくのは苦行でしかない。最初は1人で満足していても、途中で何のために書いているのかわからなくなり、虚しくなって筆を置いてしまうことは十分考えられる。 「でも、人に作品見せるのってかなり勇気いるけどね」栄子が苦笑した。 「自信のある作品を人から面白くないって言われたら、立ち直れなくなるかもしれないしさ。だから自分だけのものにしておきたいって気持ちもある。誰にも見せなかったら、少なくとも批判されることはないわけだからね。趣味で書いてるだけならそれでもいいと思う。でも……」 栄子が不意に言葉を切った。グラスをテーブルに置き、神妙な顔をして続ける。 「もし本当にプロを目指したいんだったら、評価を怖れちゃいけないんだろうね。読まれなかったり、批判されたりして落ち込むかもしれないけど、それでも勇気を出して作品を出し続けるしかない。だって何もしなかったら、自分は何も変わらないままだもん。選考に通らなかったら何がいけないのか考えるし、読まれなかったら、他の作品と自分の作品とで何が違うのかを考える。それって楽な作業じゃないよ。出来てない自分と向き合うことになるわけだからね。でもそうやって向き合うことによって、結果的に作品は磨かれていくんだと思う」 栄子のその言葉は、本気で創作に向き合っていた者の覚悟を示しているように思えた。漫画家や作家と言うと、どうしても好きなことをして気楽な人生を送っている人のように思えるけれど、実際は逆なのだ。アイディアや言葉を全て自分で考え、自分の手で書き進めなければならない。それは想像以上に苦しい作業なのだろう。創作をする人は、常に孤独な戦いを強いられている。 「でも、葵の友達は大丈夫だと思うよ」 栄子が出し抜けに言った。葵がきょとんとして顔を上げる。 「だってその子には、葵みたいに気遣って、応援してくれる友達がいるわけでしょ? 口で応援するって言う人はたくさんいるけど、葵みたいに実際に読んでくれて、関係ない人にまでアドバイス求める人ってなかなかいないし。葵みたいな友達が1人いるだけで、十分その子の支えになってると思うよ」 「そう……かな」 葵は気恥ずかしくなって俯いた。葵はただ、智子にその他大勢の人間になってほしくなかっただけだ。あえて苦しい道を選び、出口があるかもわからない暗闇を彷徨い続ける智子に、ほんの少しでも灯りを差し出したいと願ったのだ。 「でも、あたしもその人には頑張ってほしいな」栄子がフォークを皿に置いた。 「話聞いてるうちに、その人のこと他人とは思えなくなってきたから、諦めずに書き続けてほしい。よく言うもんね。誰かの夢が叶うのは、叶うまでそれを続けたからだって」 栄子は事もなげに言ったが、物問いたげな葵の視線に気づいたのだろう。慌てて続けた。 「あ、これ、負け惜しみで言ってるわけじゃないからね。あたしは夢を叶えられなかったけど、だからって人生に絶望してるわけじゃない。子育てに理解ある旦那がいて、手はかかるけど可愛い子どももいる。だからあたし、今の生活でも十分幸せだって思えるんだ。漫画家になってた人生のこともたまに考えるけど、そうしたら今の生活は得られなかった。だから思うんだ。人生ってどんな道選んだとしても、どこかで幸せを感じられるように出来てるんじゃないかって。」 「栄子……」 そう言った栄子の表情は晴れやかで、本心からの言葉のように思えた。でも、最初からその考えが出来たわけではないだろう。たとえ夢が叶わなかったとしても、栄子が漫画をこよなく愛し、漫画家になるために作品に向き合い続けてきた日々が失われるわけではない。夢敗れた自分を引き摺らずに、今ある生活の中に幸せを見出せるようになるまでには相当な時間がかかったはずだ。それでも栄子は現実に折り合いをつけ、夢破れた後の人生を生きていこうとしている。夢を叶えた人間に負けず劣らず、葵はそんな栄子の姿を立派だと思った。
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