推しの一作

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推しの一作

 そうして迎えた選考会当日。会議室に10人の選考委員が参集した。全員が揃ったのを確認し、上座に座る編集長の坂田が口を開く。 「それでは、これより第56回小説時代賞の一次選考会を開始します。今年も例年に倣い、千を超える作品の応募がありました。選考委員の皆さんは膨大な時間を作品の読み込みに費やすことになり、大変だったのではないかと思います。ですが、初めての読者として、素晴らしい作品に出会えた時の喜びは何物にも代え難い。そんな作品の価値を見出して世に送り出し、少しでも多くの読者の目に触れるようにするのが我々編集者の使命です。皆さんもそうした情熱を持って、今回の選考に当たっていただきたいと思います」 坂田が改まった口調で言うと、再び選考委員を見回した。皆が重々しい顔をして頷く。 「では、前置きが長くなりましたが、早速選考に入っていきましょう。お手元にある用紙に、自分が推薦したい5作品のタイトルを書いてください。全員が書き終わったら共有し、その上で1人ずつ推薦の理由を発表してもらいます。その後全員で協議し、最終的に30作品まで絞り込みます。ではさっそく記入をお願いします」  しばらくは紙に鉛筆を走らせる音だけが会議室に響いた。やがて全員が記入を終えたところで、坂田が号令をかけて用紙の回収をした。ホワイトボードに選考委員の名前を順に書きつけ、その下に推薦された作品名を書いていく。 「では、これから順番に推薦の理由を発表してもらいます」坂田が席に戻って言った。「時計回りに行きましょうか。まずは山崎さんからお願いします」 坂田が自分の左斜めに座る男性社員を見ながら言った。山崎が背筋を伸ばしてはい、と返事をする。彼が推薦したのはいずれもミステリーだ。 「私が今回推薦したいのはこちらの5作です」山崎が立ち上がってホワイトボードを示した。 「いずれの作品も入念にプロットが練られており、ロジックは非常に明解です。中でも最もお薦めしたいのが『海亀館の殺人』です。これは水族館で起こった殺人事件を、たまたま居合わせた探偵が解決する物語なのですが、各所に伏線が散りばめられている他、最後の10ページに至るまでどんでん返しがあり、読者を全く飽きさせません。本屋大賞も狙える1冊だと断言できます」 山崎の熱弁っぷりに文恵は思わず引き込まれた。坂田も興味深そうに頷くと、手元にある原稿をぱらぱらと捲り始めた(編集長である彼の傍らには、全ての原稿が堆く積み上げられているのだ)。 「なるほど、よくわかりました」しばらく原稿に目を通した後で坂田が言った。 「ミステリーに関する山崎さんの講評は信頼していますから、『海亀館の殺人』に関しては通過させてもよさそうですね」 「ありがとうございます!」 山崎が勢いよくお辞儀をした。なるほど、こういう熱意をこめた、かつ要旨の明快なプレゼンであれば通りやすいのか。文恵は感心した顔でように頷くと、改めて脳内で自分のプレゼンをシュミレーションした。 「では、次に行きましょう。前田さん、お願いします。」 坂田が山崎の隣にいた女性社員を指名した。前田が頷いて立ち上がる。昨日、山崎と作品談義を交わしていた彼女だ。 「私が推薦するのはこちらの5作品です」前田がホワイトボードを指し示した。 「いずれも恋愛小説ですが、中でも特にお薦めしたいのは、一番上に書いた『10年後の君と』という作品です。本作は、高校時代の同級生だった男女が、10年後に開かれた同窓会で再会する物語です。2人は高校時代から互いに意識していましたが、交際に発展することはありませんでした。同窓会で再会した時、2人は高校時代の思い出を語り合いますが、当時の恋情は過去のものとなり、今さら関係を発展させようという気はお互いにありません。過ぎ去った時代を懐かしむことしかできない展開が悲哀を感じさせ、静かでありながら鮮烈な印象を残します」 前田が淀みない口調で言い、文恵はまたしてもその熱弁に引き込まれた。プレゼン1つでこうも作品に対する興味がそそられるとは、編集者の力量が作品に与える影響を文恵は感じ取っていた。 「なるほど、ありがとうございます」坂田が再び原稿に目を通してから言った。 「同窓会での再会、というテーマ自体はありふれたものですが、そこであえて恋を成就させない展開は新しいですね。既存の話と一戦を画するという意味でも、『10年後の君と』は通過させてもよさそうです」 「ありがとうございます!」 前田ががばりと頭を下げた。次々と通過作品が決まっていくのを見て、文恵は次第にそわそわし始めた。自分の番は後ろから2番目。それまで平常心を保っていられるだろうか。  その後も選考委員が1人ずつ指名され、自分の推薦する作品について熱弁を奮った。文恵は彼らのプレゼンを聞くたび、世の中にはこれほど人を唸らせられる作品を書く作家が何人もいるのだという事実に驚かされた。それでも選ばれる作品はほんの一握りに過ぎない。自分が推した作品が日の目を見なければ忸怩たる思いをする。それは作者だけでなく編集者も同じなのだ。
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